連載手記『エッペのケツ』騒動記十一
第二章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピンの実像と疑惑
その8 フィリピン流部品交換の術 その9 今のフィリピンは30年前のデッドコピー

今日の新たな登場人物、なんだ〜、今日は一人も居ないのかよ?

8、フィリピン流部品交換の術。

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『いっていどんな物かそのポンプやらモーターっちゅうのを、見せて貰おうじゃねえか?』
『分りましたあ〜』っと言ってからお馬さんはリフトを下ろし始めた。
『何でい、外してあんじゃねえのか?』
『いえ〜、その〜』
『それに何でい!バケットの近くに着いてるんじゃねえのか?だいたいどこにくっ着いてるんでい、そいつあ?』
『え〜、ボンネットの中なんスヨ〜』

リフトを下げてボンネットを開けたお馬さんは、どっかからかライトを持って来た、 『ここ何んスヨ〜』っと言って明かりを照らした所は、ボンネットを開けた一番手前の一番左端、バッテリーの下の方であった。
『これじゃ見えねえなあ!でも何でくっ付いたままここが悪いって分ったんだ?、こんな奥にある物ん外さなきゃ解かんねえだろうに?』
『え〜〜と〜そうですけど〜』
どうもこの辺の反応がおかしい、何かあるな、コリャ。

『これがモーターか?黒い奴が?』
『いえ、それはポンプで、その先っぽに着いているのがモーターで〜す』
『もう一度聞くけど、お前さんこれをはずさねえで、良くこいつが悪い、しかもモーターが悪い、っとまで解ったね?』『いや〜、前にも同じエッペで同じ故障の車やってますから〜』
『ホントかヨオ?お前めえさん"眉唾(まゆつば)"って知ってっか?・・・・いや、なんでもネエヨ、こっちの話しだ、・・・・悪りいがお前めえさん、ちょっとこいつを外して見せてくれヤ!ホンとにモーターが悪いか確認してくれねえかな?』

『外すんですか〜?今ですか〜?私がですか〜』
『今の質問の答てえは、全部yes ですヨ〜!!、あんたが、今すぐ、外すんですヨ〜』
"チキショウ、カメラ持って来るんだった、エミさんの手術の事で頭がいっぺえだったからなあ、残念な事をしたなあ"

そんな事を考えながら、お馬さんの作業を見守っていた、しかしどうも納得出来ないのが、何でこんなに奥に有る物が外しもしないでいいか悪いかが判断できるのか?っと言う事である、どうもこれはウソぽい!キット何かカラクリが有るぞ!っと確信した。

随分メンドクセエとこに有るねえ!こんなに奥に入ってて、どうやって取り出すんだろう?結構時間が掛かりそうだなあ、っと誰もが思う様な場所に、積め込まれるように取り付けて有る部品だ、所がその考えは違ってた!。
お馬さんの手際の良い事、いつもぼんやりしているのに今日に限って正しくプロ!そんな所から外すのかあ?っと驚くような所に有るナットも探す事無くサッサッサ〜っと取り外す、外す順番に迷いも無ければ違いもない、フィリピンじゃ驚く事はしょっちゅうだが今日も驚かせて貰った。

タイヤ交換のナットを外すのとは訳が違う難しい作業を、いとも簡単にやって退けている、こんな慣れた手付きは不思議過ぎる、こりゃ何度か同じ事をやってるね!つい最近、このエッペで!じゃあなきゃ、こうは行かない、まあッ、ゆっくり外す芝居何んか出きっこネエから何も考えずにやってんだろうが・・・・。

暫らくして全体が現れた、こんな形をしていたのか〜?、お馬さんは何を思ったのか、取り出した部品を分解し始めた、何をやってるんだろうと、思って見ていると、モーターを分解している事が解った、分解をし終わった兄ちゃんが
『ネ〜、このアームが折れてるでしょう〜、だから空気は送らないし〜、ケツは上がらないんです〜』
こいつは『語るに落ちた』ッってやつだ。

幾ら自動車の神様だって、外から見てこんな部品が折れているのが解るわけ無い、間違いなくこいつは知っていた。サアこれからどうする?ここがオケラの思案橋(注)だ、ホントの事何んか口が避けても言いこねえ、しかし得意の鼻薬はこの場合はチョット無理だな!。

ここまでくりゃあ、大方筋は読めた、どうも修理の途中で何か異変が有ったのかも知れない、そこに何でキョンシーが急に止めて田舎へ帰ったかの秘密が有りそうだ、しかし田舎へ帰ったのは本当だろうか? 問題を整理してみた。

考えられる事は、キョンシーがモーターを何んかの弾みで壊してしまった、そして奴は逃げた、もし見つかったら自分で弁償がフィリピンの決まり、多分こいつあ高けえんだろうなあ、チキショウ!!・・・。
だが、チョット待てヨ!逃げたんじゃなくて隠したのかも知れねえ、奴の弱みは、エッペのケツが最初は上がっていたのを知っている唯一の証人、他にも見た奴は絶対いるが、白を切って言う訳無い、キョンシーだけが言い訳できネエ、見なきゃ良かったエッペのケツ上がりをドラと一緒に見ちゃった、しかしこの状況じゃケツは上がらねえ、こう成ちゃあ言い訳出来ない、だから奴は消えた。

フィリピン常套手段に部品交換!ってのが有る、部品交換ったって皆んながやってる普通の部品交換とは違う、フィリピン・スタイルは全く逆の部品交換をする、良い部品を引っこ抜いて悪い部品をくっ付ける、もしかしたら本当はホースが悪かったのを、それじゃ金が取れねえ、ってんで、悪いポンプに交換した、何んて事は朝飯前どころか洗顔前だ!。

するってえとキョンシーはなぜやめた?待てよ?ミスしてやめたんじゃなくて、キョンシーがやめたから部品交換を思いついた、っとも考えられる、奴がいなけりゃ後はとぼければ良い、まだ有る、わざと壊したかも知れねえ、そしてキョンシーを隠した、何でも有りのフィリピンだ。しかしどう詮索しても状況は変わらネエし悪いままだ。

こりゃあ、一杯毒を盛られたな、この故障は絶対認められる様な事では無いが、だが、どうやってひっくり返す?、
ここは経営者の技量に任せて直接談判(だんぱん)して見るか?、しかし相手は異国人だからねえ?、他に何んか手が無いかねえ?脅かす事も、すかす事も、鼻薬も駄目、お馬さんの良心に訴える?それも絶望的手段だ、『そういう物は一切持ち合わせていませんが〜』とか何んとか言われちゃうのが落ちだ、弱ったな・・・・・・、メンドクセエ!!こうなったらイッソの事、爆発しちまうかあ〜?。

『お馬さんよお、チョット聞くけど、これは修理できるのかい?』
『だめですね〜、総取ッ替えですね〜、前もそうでしたから〜』
『いってえ総取ッ替えだと幾ら位掛かるんかねエ?』
『よく解んないスガ〜、大体3万ぺそから3万5千ペソじゃないスかねえ〜』

そうかあ、でも当初の予定の6万ペソより安いか・・・妥協(だきょう)しちゃう?・・・・。
それでお前めえは納得できるのか?お人好しだねえ!呆(あき)れる程だ!だからナメられちゃうんだ日本人は!日本人が餌食(えじき)に成ってんのは、皆お前の性だ!っと自問自答の私。

心の中で葛藤してやがる。


9、フィリピンは30年前のデッド・コピー。
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あまり気が進ま無いが、ここのトップと話を着けるしか方法は無い様である、フィリピンには永い事暮らしているから、有る程度はフィリピン人の気質とか習性、習慣っと言った事も解るが、その他の異国人と成ると、どう対処してよいか解らない、それだけではない、私はフィリピンに居る日本人を含めた外国人に対して疑問に思う事が度々ある事等から、最近の私は異国人を毛嫌いしていると言われても、私は決して否定しない。

ドラとこんな話をした事があった。
『ドラ、お前めえはフィリピン人だから、フィリピンの事つあ、有る程度だあ、知ってるよな?』
『フィリピンの事ッてすかい?どんな事ってす?』
『例えば人口が何人いるか、とかフィリピンの面積はどの位、とかだよ!』
『フィリピンに人間が何人いるかだって?冗談言っちゃいけねえや、そんなもん知る訳ねえじゃねえっすか』
『なんで?なんで知らねえんでい?学校でならったろ?』 
『学校は小学校3年まで行きやしたが、その後たあ行きやせんした、金がなかったからねえ』

ドラの話はこうだった。
田舎でドラがまだ子供だった頃は明日の、いや今日の米をどうするかで親達は頭がイッパイな位困窮状態だった、ドラは長男、上に一人姉さんが居る、ドラが10才になった時、下には6人の弟、妹がいた、ドラはどうしても働かざるを得なかった、学校に行っている暇なんかなかった、それでも3年間学校へ行かせてくれたんで、文字の読み書きや足し算引き算なら出来る、有り難い事だっとドラは言う、近くの家の殆どの子供は学校へ行ってなかったそうである。

だいたいフィリピン人の60%以上を占めている一番多くの人間が、下層階級と言われる人達、ドラの家族もこれに入る、言ってみりゃあこのフィリピンを代表する人達なのだが、泣く泣く極貧生活を送っている彼等にとって教育費は最も頭痛の種、学校は日本の様に『全て無料』何て事はない、何とか学校に行かせたいが、行かせる金が無い、それ所か今食べる米が無い、そんな中で育った子供達も年を取れば表にほっぽり出される、そういった子供達の数は計り知れない数字と成っている。

こんなもん国の責任以外に何にも無い!親や、ましてや子供になんか責任など有る筈が無い、これを我々異国人は理解して認めて上げる位の優しさと寛容さが必要だと思う。
『小学校4年ちゅうと10歳か、ドラはもうその時から働れえていたんだなあ』
『旦那、旦那には解んねえだろナア?、働き場所が有るチュウ事だけでも、どんなに幸せかしれやしねえ』
『どんな事して働れえてた?』

『オヤジが漁師やってやしたんで、ッたって、自分の船が有る訳じゃネエ、日雇い見てえな漁師でさあ、船の借り賃、燃料代を差し引くと手取りなんてわずかなもんです、親子10人カスカスでヤット息をしてた、って生活だあ、学校やめてからず〜っとやってやしたが、妹や弟もいるし、大した稼ぎにならねえ漁師じゃあおっつかねえ、てんで、16に成るのを待って、マニラに出てきちゃったんす』

我々日本人なら誰でも知っている言葉に『義務教育』と言うのが有る、大体16才で中学卒業だ、この国でも16歳以上じゃないと勤める事が難しい、ドラも16まで待ってマニラに出て来たと言う訳である。
『義務教育』の義務は、日本国が日本国民に負わしている三大義務っ、て奴の一つ、とっても重大な事だが、中には自分が学校に通う事が義務だと思って勘違いしている奴もいる、それは子供にとっては義務じゃなくて権利だ、この義務は親がショイコム義務、そんでもって、子供達の権利を守るちゅう事で義務教育は全て無償と言うことに成っている。

日本人に生まれて本当に良かった、もし私がフィリピンに生まれたらどうなってたか?フィリピンじゃあこう言う訳には行かない、勿論(もちろん)子供たちに教育を受ける権利は法律上では有る、でもこいつは、『生きていればこそ』の法律、明日の、いや今日の米をどうするかで頭がイッパイな位困窮状態の真っ只中にいる人間に足し算引き算は大事だっと言って説得できる訳きゃ無い。
これじゃあフィリピンでは建前上、又は一部の裕福な奴の為にだけ法律が作られている様なもんだが・・・。

『するてえと、もう20年か。マニラは?』
『長え様で短かった、でもマニラだって田舎とそんなにかわらネエ、田舎じゃ食えない事あ無かった、腹が減ったら魚とりゃア良かった、でもマニラじゃそうはいかねえや』
『今までどんな仕事した?』

『あっしゃあね旦那、恵まれてたんでさあ、ボスに、16ん時こっちにいる親戚頼って出て来て、最初に着いた仕事がレストランの皿洗い、他に何にも出来やせん、良く仕事がめっかったくれえだ、レストランったって飲みやみてえなもんスが、客の残り物は食い放題、飯に事欠かなかった、そんで給料は殆ど田舎に送る事が出来やした、ボスもいい人だった、でもネエ旦那、何てったって客が悪いやあ、その店あ客の半分以上が女目当ての外国人だった。

中にゃあ酷(ひで)え事する野郎がいやしたでえ、言う事聞かねえってんで、いきなり女の子の頭からビールぶっ掛ける何て、そんな事は生易しい方でした、もっとメチャクチャなのは、店ん中で女の子ひん剥(む)いちゃったり、女の子をぶん殴った奴も居た、流石にこいつあ出入り禁止に成った、しかしフィリピン人はそこまでやらねえ、皆外国人でしたよ。

アッシも餌食(えじき)に成った、ジンをボトル1本ラッパ飲みさせられた後、店でぶっ倒れた、その後3日寝てた事も有りやす、イヤだって言うと客の言う事聞けねえのかって怒りまくるし、飲みゃア銭くれるってんで、死ぬ気で飲んだ、喉から手が出るほど金も欲しかったからねえ、人ニャア言えねえ情けネエ事もさせられた、妹や弟の顔思い出しながら泣き泣き靴舐(くつな)めした事も有りやす、何としても金が欲しいんでさあ、兎に角外国人の中にはヒデエのがいるからねえ、堪えらん無くてその店は3年でやめやした』

こう言うドラのような人達の心の中じゃあ外国人を快く受け入れているわ訳じゃあ決していない、私はこんなフィリピン人との付き合いが多いし長いからその事をよ〜く知っている、しかしドラ達が生活している今の環境、いや宿命と言ってもいいが、そん中で生き続けて行くためにゃあ、暴君(ぼうくん)の様な振る舞いをする外国人だって受け入れなきゃあ仕方がないんのがフィリピンの悲しい現実。

今更始まった事ではないが、フィリピンには多種多様の国々から人が移り住んで来る、どっかの国の誰かが言ってたが、気候も良いし、物価も安い、食べ物も豊富だし、金さえあ有りゃあ天国の様な所だ、っと。

しかしねえ、私なんか永く住んでるから、良く知ってるがこの国は決して天国なんて国じゃない、実態は皆んなの想像している事とは全く違う、 ましてや、このドラの家族のような人達にとっちゃあフィリピンは地獄と感じても、誰一人として天国なんて感じちゃ居ない、自分の国だから仕方が無い、甘んじて受け入れるっきゃ無い、そんなフィリピン人をまるで奴隷の様に扱う一部のとんでもなく許せない異国人もいる、よその国に来てデカイツラしている様な異国人に無性に腹が立つ、酷いのになるとまるで動物を扱うようにフィリピン人を苛(いじ)めるヤカラもいる、こんな野郎を見ると胸糞悪(むなくそわる)くなって、そこらにあるデカイ石をぶつけたくなる。

『ドラ、その店をやめてからどうした』
『一旦田舎エ帰けえったんです、ット言っても3ヶ月で、又マニラに逆戻りしてきやしたがネッ、田舎はそれなりにいいが、仕事がねえ、漁師たって、さっき言ったようなもんで、頑張ったトコで高あ知れてる。現金を稼ぐニャアやっぱりマニラしかねえんでさあ、あっしがそろそろ二十歳って頃でさあ、車の免許とってタクシーやろうと思いやして、軍資金稼ぎに又飲み屋のボーイを紹介してもらったんす、何たって漁師しか知りやせん、唯一知ってんのが3年続けた飲み屋でしたから。
あらあ、・・・・マビニでした、そこに勤めて間もねえ頃の話っすが、殺人事件が起きやましてね、外国人の。
所が不思議な事にその事件は新聞にも載らなかったんすよ』

ドラの言う事はこうだった。
ヤッパリある外国人が毎日一人の女目当てに通って来てた、しらふはいいが酔うと癖(くせ)が悪く、そこら辺に喧嘩売って歩く、女にまで手を上げる、従業員にあたりちらす、と始末に終えない客がいた、ショッチュウ来るお得意さん、金の払いはいい、仕方が無いんで有る程度は目をつぶていた、有る時店の外へ出てって女に絡(から)んでその女の彼氏と大喧嘩に成った、ハズミで石で殴られて、打ち所が悪くて挙句(あげく)の果てに死んじゃった、っと言う事だった。

周りに人は沢山居た、二人は逃げちゃったが誰も追わなかった、又二人はタダの通りすがりで男も女も顔見知りではなかった、警察が店に調べに来た時解ったらしいが、死んだ男は有る国の大使とか領事だって言う事だった、幸い刃傷沙汰じゃなかったんで、椅子から落ちて、打ち所が悪くて死んだ事になっちゃった、殺人になると大使や領事だと厄介な事に成るからだと思っての事だろう、それで何日たっても新聞にも出無かった、もう15年も前めえの話ですが・・・と言う事だった。

ドラはこんな事も
『でも他にも有りやすよ、そんなの、外国人の場合は殆ど殺人犯が捕まらないんすよ、情報提供者ッチュウのが少ないだそうっす、実際アッシも経験ありやすから解るんっすが、恨みを持ってるフィリピン人イッパイいやすからねえ!、相当我慢してても、我慢しきれなくなってやっちゃうんしょうが、そんな奴の気持ちヨック解りやす』

他人の国へ来て、我が物顔でノサバッテ、札びらで横っ面を引っぱたく様な大嫌いで仕方がない外国人どもでも、自分の国が何にもしてくれない、何の力も無い、全く希望が持てない事を知っている、だから歯を食いしばって我慢する、こんな野郎どもでも今日、明日の飯の種にしなければその先は飢え死にが待っている、他に逃げ道も無い、そんなフィリピン人の彼らが考えている事はまず、今日、明日のご飯の事、言い換えればどう生き延びるかの事で脳み、わずかな知力のその殆ど全部をそれに使ってしまう。

ある日本人が言ってた、
『何だかんだ外国人の悪口を言っておきながら、少しの金を握らされて、ころっと転がるフィリピン人にも困ります。』
この気持は良く解かるし、私も何度も、何度も見てきて歯がゆいと感じてもいる。
しかしそんな彼らが考えている事はまず、どう生き延びるかが第一、我慢もそのための知恵、私の周りにいるフィリピン人の多くは、将来なんて贅沢な事を考えられる人たちでは無い、 私はフィリピン人とかなり深く関わっている、殆ど生活の全て、スタッフも、ゴルフの仲間も、プロ連中も、仕事先でも、周りを見ればフィリピン人の中に日本人は私一人だけ、フィリピン人なくして私は生きていけない。

彼らの人生は飢え死にといつも背中合わせの人生、意地も張りたい、そして尚ご飯が食べられれば、そんな贅沢を言える国民はフィリピンではほんの一欠けらである。

私の知る30年前のフィリピンもそうだった、そして今も・・・フィリピンは30年前をそのままコピーして、たった今ペーストした様な国、そんな国がフィリピンだと思っているのは、もしかしたら私だけなので有ろうか・・・?。

そんな訳で、フィリピンに居る異国人は、全てではないにしろ、白い目で見ざるを得ない私なのである。

しかし、このまま私の車の問題を放って置く事等出来る訳が無い、話はチャント着けなければ気を納める事など出来やしない、泣き寝入りなどはマッピラゴメン、私には絶対出来ない。

続く・・・・。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障、          フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を
その故障発見から修理完了までの長い道のりは、          全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った
常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと           一大悲喜劇 『エッペのケツ』騒動記 新連載開始しました。
戦い続けなければならない長く苦しいものでした。
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