| 大火!!その後のスクウォーター |
火事の火元はすくウォーターの入り口からかなり遠い所、100m以上も奥に入った場所である。 当事は逃げるのに大変苦労したと言う話を聞いた、スクウォーターの中はまるで洞窟内部、家々は細い洞窟路地(俺が名付け親)で結ばれている、幅約1m強、人間一人やっと通れる広さ、すれ違う時はお互いに体を開かなければ成らない。 洞窟路地の真上は建物(では無く大きな『みかん箱』を想像した方が合っている)の床部分に成っている。 密閉された洞窟路地には非常口など無い、火事の時はこの洞窟路地を出口を探して人間ばかりか猛火も走る、当時は不幸中の幸い、風向きが外れていた事も有りL字の形に並ぶバラック群の丁度曲がり角で火の勢いは止まった。 その後の騒動は既に本文に記載したが、あれから彼らはどうしているであろう、っと思いカメラを持ってバランガイ・キャプテン(町内会の警備団の長)と一緒に見に行った。写真を撮る時には十分注意が必要である、不用意にバチバチ撮ると思 スクウォーターはフィリピンでは特に珍しいものでは無くいたる所に存在する、川岸、海沿い、線路沿い、ゴミ捨て場、墓地、、空き地、等等である、殆ど表通りには無いが、メインストリートの裏側のスクウォーターの存在は普通の観光客には知る由も無い、Villamorから自宅までの道筋にもスクウォーターは5箇所有る、僅か15分車で走っただけでである、フィリピンのど真ん中マカティーにも数え切れないほどのスクウォーターが有る。 ここは実は特別な地域であっても、特別な生活の場所では無くフィリピン人の半分近い人達の人生そのものである。 さっき行って来たスクウォーターもフィリピン各所に無数に点在するスクウォーターの一つに過ぎない。 ここに最初に来たのは去年のクリスマスの夜、スクウォーターのクリスマスに興味が有り、バランガイ・キャプテンと一緒に来た、その後何回か訪れている。 最初来た時の住民達は警戒心と日本人が来た珍しさとで疑心暗鬼の目、そんな皆の視線にさらされ恐怖に似た感慨を当事は持ったものだたが、今では顔の知った住民が声を掛けてくれるまでになった、っと言っても心を許せるほどの、危険が全く無い等と油断が出来る場所では無いのである。麻薬中毒者やアル中者の居る割合は普通の場所の数十倍、いや数百倍にも上る。 昼過ぎ、薄暗い洞窟路地を50mほど進むと急に明るくなる、L字の曲がり角である、新しい木の匂いがする、左へ続く路地には洞窟のイメージは無く明るい日差しが射していた。 建物は殆ど修復されていた、住民のゴキブリに似た生命力とバイタリティーが伺える、ここの住民全てが今日食べるのに四苦八苦している、していない奴はここに住む必要が無い、彼らが『みかん箱』と言えども材木やトタン板、それに大量の釘を調達するばかりでは無く、工具類も一切火事で焼失している、これらを調達するのには我々が想像を絶する苦労と血の出るような努力が必要である。大工を頼むわけではない、勿論彼ら自身で工作作業はする。 火事の一ヶ月後ではまだ殆ど建 救いは住民の明るさ、屈託の無い笑顔はいつ来ても変らない、しかしその笑顔の下には我々が想像し様も無い苦難の道を歩き続けて来て、そしてこれからも歩いていかなければならない悲しさと空しさがあるのを忘れる事は出来ない。子供達は昔も今も、日本もフィリピンも全く同じである。 子供らを見ていると涙が出るほど嬉しくなる、本物の笑顔が有る、彼ら子供達がスクウォーター住民にバイタリティーをもたらせ、明るくさせ、復興の源とも成っているのである。 何かしてやりたい衝動に駆られた、少しでも、何が出来るか、何をすれば良いのかは分からないが、帰り際そんな事が心に浮かんだ、又その内来る事も有るだろう、その時までに何か考えておこうと思った。 |