どぶ川上の丸印が火元
  当時の風向き
焼け落ちたトタンで川が埋まってしまっている。
      写真撮影C地点
左に見える塀の向こう側がスクウォーター
地域で丁度火元に当る場所。写真撮影B地点
塀の穴から火が吹き出てバスが焼けて
しまいました。写真撮影B地点
写真のはるか向うには川が有る。
   写真撮影C地点
沈下後の片付けにおおわらわの
スクウォーター入り口付近。写真撮影@
最近のスクウォーター入り口付近。
写真撮影@
川に面して有る裏門から出入りをしている。
一瞬の間に燃え広がる
2007年5月15日
耳の聞こえない彼女が泣きながら大声を上げて飛び込んで来たのは、
まだ昼の1時頃だった!!

頭に怪我をしている様子である、布を巻き付けて半泣き状態引きつった
顔で飛び込んで来た彼女は「爆発!爆発!」っとジェスチャーで
しきりに訴えている。
私は一瞬何が起きたのか理解できなかったが、彼女の指差しているのは
彼女が住んでいる、近くに有るスクウォーター(不法占拠区)である。

外へ出た私は仰天した!!空が真っ黒な煙に覆われ、爆音がする毎に
その下には真っ赤な炎が時々見える、爆音はプロパンガスのボンベが
爆発する音で有った。
その音は時に近く、遠く絶え間無く聞こえて来る。
私の家から距離およそ250mの地点、私は急いで屋上へ行って見た、
黒い煙と時々大きな爆音と共に上がる炎の柱、、しかし他の建物が
邪魔して火元までは見えない、。
私は彼女が止めるのも聞かず、急いで表へ出て火元へ走り出した、
100mも行ってカメラを持って行く事に気が付きいったん家に戻る。

スクウォーターで火事が発生する事は珍しい事ではない、
火事の原因には主に2つ有る、
一つは純粋な失火、一つは政治が絡んだ作為的な放火である、
私はその時後者の可能性が強いと感じた、おりしも昨日は地方選挙の
投票日、今日はその翌日で有ったからである、

スクウォーターに近づくに連れきな臭い匂いが強く成り、
人の動きが激しくなる、
全財産のわずかな荷物を運び出す数百人の人々で溢れ返っている、
今は他人の事等考えている暇など誰も持っていない、
まず自分の荷物を避難させる事が先決である、
命よりも大切な冷蔵庫を娘と必死になって運び出す親子、
衣類の全てを毛布に来るんで頭に乗せ逃げ出す男、
最初の消防車が近づいている音がして来た、
子供の大きな泣き声に消防車のサイレンが重なり、その辺り一帯、
蜂の巣を突付いた様な情景は火災現場特有のものであった
あるスクウォーターの大火
1階の教室には約80人が寝泊りをしている。
川に掛かる近くの橋から両側に連なるスクウォーターを見る。
左側の先の方が火事現場、右側手前(写真では見えない)に避難場所の小学校が有る。
避難場所の小学校は、人々が重なり合って生活
して居る様な何とも凄まじい光景であった。
2階の廊下もやっと歩くだけの
隙間を残して人でいっぱいで有る。
扇風機は小さな子供が寝る時だけ
回し使いするそうである。
焼け出されたスクウォーターの住民は
80所帯約300人その内の70所帯
約260人が川の反対側に有る小学校
で避難生活を送っている。
写真に写っている建物の1階から3階
までの教室全てを使っている。
こんな小さな鍋で炊飯をしている、
何度も繰り返し炊くそうである。
手前少し有る隙間で代わる代わる食事をする。
火元
ここをクリックすると
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←A地点堰ィ
B地点堰ィ
 
 ↓
チャイニーズフィリピンの最新型消防車最後
まで迷惑駐車の主役でした。写真撮影A地点
川の中でまだ残り火がちらちら・・・。
写真撮影C地点川の中
沈下直後のスクウォーター
写真撮影C地点
最後まで働けなかった消防車が続々と
帰って行く。写真撮影A地点
1番奥に見える所で火事は食い止められた、
丁度コーナーの所である。写真撮影L
道幅ぎりぎりの大きな消防車は見掛け倒しの
でくの坊でした。写真撮影A地点
住民たちの冷たい視線を受けながら帰る
消防車が大半でした。写真撮影A地点
完全に沈下して帰る消防車と鉢合わせする
今頃来た消防車、この国は連絡網と言う
ものがが無い!!。写真撮影A地点
全ての消防車が帰った後、やっと片付けが
出来る様になった。写真撮影A地点
左の写真と同じ位置の平穏を取り
戻した最近。写真撮影A地点
火元はスクウォーターの一番奥の方だった、これでは逃げるのに大変で
ある、1箇所しかない出口は、曲がりくねった真っ暗な洞窟のような
路地を約200mも走り抜けなければならない。
救急車が来て誰かを乗せて行った、どうも子供のようである、
火事の場合子供の犠牲者が多く出るのはスクウォーターの宿命である
ようだ。

消防車が最初に来たのは私が現場についてから間も無くであった、
その後次々と、まるでマニラ中から集まって来たのではないかと思える
数の消防車が到着する、広い通りなど無い、無秩序に狭い通りに侵入
して来る消防車の団体は、とうとう身動きが出来なくなってしまい、
今ではただ立ち往生をしているだけの邪魔な物体になってしまっている
その数は集まってきた全消防車の約8割、25台にもなってしまった。

通り抜けの無い袋小路の狭い名前ばかりの通りに闇雲に突っ込んで来た
消防車は自分の体を持て余し、行く事も引く事も出来なくなり、
イラツき始めた消防団員は住民と口論までしている。
元々訓練など受けていないのであろう、先の状況判断など全く関係なく
猪突猛進の消防車は実際に働けたのはわずか5台ほどであった。

スクウォーターの出口では人の山である、数百人、いやもっとであろう
人達は皆このスクウォーターの住人である。
そこへ消防車の団体が押し寄せ狭い路上をただ駐車場として使用している
逃げ道を塞がれ戸惑う人々は口々に罵声を浴びせる、それに消防団員が
悪たれを返す、これがフィリピンの実像である。

80所帯ほどの家族が焼け出された、およそ「家」等と名の付く代物
では無い、その辺から拾って来た板を四方に貼り付けて壁を作り、
拾って来たトタンを屋根代わりに置いてある様な粗末までも行かない
掘っ立て小屋である、日本の戦後何も無い「0」 から出発した時の
最初のバラックは、もしかしたらこれよりもまだましだったかも知れない
その時煙は殆ど真上に上がるほど弱い風が川の方向へ吹いていた
(図参照)、これが幸いし、丁度スクウォーターのコーナーで火は
くい止められた。
無秩序な消防車
その後スクウォーターは解体される・・・、っと思ったら違った。
焼け出された彼らは一時近くの学校へ避難し、今もそこで暮らしている
困ったのは市である、出て行けとも言えないがいつまでも学校の校舎を
寝ぐらにしてもらっても困る、たださえ教室は足らないのである、
1人教室に50人としても6教室提供しけなければならない事となった。
300人以上もの人が寝泊りしている、毎日3食の食事もまま成らなかった
人たちである、その上日用品一切を失ってしまった。

市長は先ず米を支給した、しかし米を炊く釜が無い、湯を沸かすにも
やかんが無い、火が無い、グラスが無い、スプーン、フォークが無い、
おかずを買う金が無い、何か行動を起す度につっかえる。
教室の床はコンクリートである、ダンボールを敷いただけでは体が冷え
てしまう、毛布がいる、着替えが無い、洗濯が出来ない、石鹸が無い、
干すところが無い・・・・。
生活の全てを火事に奪われた住民も確かに可哀想である。

300人のトイレは大変である、学校中のトイレを使わす訳には行かない
から制限をするが、学生たち(小学生)が学校にいる間の休み時間に
使うトイレと訳が違う、生活の場としてのトイレである、そして使用
する人達は秩序のかけらも持ち合わせていない、っと言うよりもその
程度の常識しか持ち合わせていない、それで無ければスクウォーターに
いる訳が無いのである、今まで川で垂れ流し生活の彼らは水洗トイレを
上手に使えない、トイレが詰まってくる、それでも使うからあふれて
くる、学校側へ苦情を言う、一時が万事これの繰り返しである。

学校から市長にクレームが絶えない、避難者からからも市長にクレーム
がこれ又絶えない、間に入った市長は苦肉の策を打ち出す、やっては
いけない事だが市役所の連中も殆どお手上げ状態で、住民と同類項に
いる彼らには妙案など持ってもいないし未来永劫出て来もしない。

そしてとうとう市長は最後の手段を持ち出した、しかしこれは「出来な
い事」、「やってはいけない事」なのであるが、背に腹変えられない
状態の打開策は「火事で焼け出された人、全てをもう1度
スクウォーターへ戻す」と言う事であった。

スクウォーターを減らす国の対策は有っても、作る対策など有る訳が
無いが、それではどうすれば良いのか解決方法が見つからず、とうとう
スクウォーター建設に至ったのである。
しかしこれでは終わらない、近隣の正規住民が怒り出した、それはそう
である、やっと減ったスクウォーターを元に戻すと言うのである、特に
怒ったのは出火元の隣の正規住民である。

さあ大変な騒動に成った、これから『市』、『スクウォーター住民』、
『近隣住民』それに『学校』が加わった四つ巴の紛争に、解決方法は
見出せるので有ろうか。
焼け出された住民の今後は・・・。
それぞれの言い分
その後3者の代表に学校も加わって集まり協議をする事と成った。
それぞれの言い分を要約すると・・・。

まず学校側の言い分、
今は夏休み中、非常時の事だから学校を使う事は問題ないが、6月の8日
からは学校が始まる、その前までには他の場所に移って貰わなければ子供
たちの勉強場所が無い、たださえ2部制で何とか足りない教室を使いまわし
ている現状を理解して欲しい。
皆が出て行った後は直ぐに使える状態では無いと思われるので少なくとも
2〜3日は余裕が欲しい、そこで最終提供日を6月5日までとしたい。

それに対する『市』の回答は
6月5日を最終日とすることは致し方ない、もしその後も解決しなかった
場合は公民館に移ってもらうがこれは避難している皆にも承諾して貰わな
ければならない。

次に焼け出されたスクウォーターの住民の言い分
われわれが不法占拠している事は十分承知しているが、火事で焼け出され
た今どこかに移る準備も無いし、ゆとり所か今日の米さえ無い、しかも他
の不法占拠住民はそのままで、火事で焼け出されたわれわえだけ退去では
納得出来ない、この地域全体の不法占拠住民が全て立ち退き(デモリッシュ)
をかけられたのなら仕方が無いがそうで無い限りは我々は元に戻る。
ただ一つ、これからの生活を市や国が保証すると言うのならその限りでは無い

近隣住民側の言い分
そもそも不法占拠を長く許している『市』の責任がまず問われなければ成
らない、今国を挙げてスクウォーター撲滅を目指している時、例外を作って
彼らを元に戻す許可を与えるなど持っての外である、ゴミは直接川へ捨てる、
生活廃水もしかり、それに加えてトイレまでも垂れ流し、不衛生極まる状態
である。まして今度のような火事を再び出さないと言う保証など何処にも
無い、今回は幸い近隣住民に大きな被害は無かったが、バスは2台焼けたし
従業員の宿舎も焼けた、人命には影響が無かったが、この次も無いと言い
切る事など誰も出来ない、そうなったらいったい誰が責任を取ってくれるのだ
『市』が責任を取るというのなら納得がいくが、死人でも出たら責任の取り
様も無くなる。
我々は税金を払ってチャンとした生活をしている、その安全を脅かす様
な条件は絶対に飲めない。

さあてっ、困ったのは『市』の対応である、
はたしてどんな解決策を出してくるのやら・・・・。
『市』のとった最終対策は
 
 ↑
C地点
 ↓
 
 
 ↑
D地点
 ↓
 
火災後の撮影番号Mと同位置
火災前の撮影番号M
火災後の撮影番号S曲がり角
の給水場、もう水は出ません
火災前の撮影番号S曲がり角の給水場
撮影場所 D地点を見る
綺麗に片付けられた火災現場
撮影場所 D地点の川を見る
元はここに家があった
撮影番号Mから見る
掘っ立て小屋は作業場で住居ではない
撮影番号Mから見る働いている
人は全てスクウォーターの住人。
彼らの昼食、おかずは小魚の煮つけのみ
撮影場所 D地点奄フ隣接工場を見る
火災で壊れた塀の修復中
撮影場所 D地点の対岸にある
スクウォーターを見る
『市』の対策には幾つかの方法が考えられる。
焼け出された住民をそのまま放り出す。
実はこの方法が一番正論で国の政策スクウォーター撲滅にも逆らわない、
正規住民側にも文句は出ない、元々不法占拠なのであるから、それを正規
な元に戻すだけの事であり考えてみれば極正当で自然な事なのである。

ではなぜそれに踏み切らないのか?
『市』は怖いのである、窮鼠猫を噛むでは無いが彼らが暴徒化して暴れ
だされるのが恐ろしいのである、この現象はスクウォーター問題を解決
する上でいつも大きな障害として取り上げられる、彼らには失うものが
無い、地位も名誉も金も何も無いのである、そしてこの何も無い事が
スクウォーター住民の最大の武器でもある。
それに比べ方や市長や正規住民には失うものが沢山有る、富であり、名声
であり、現在の生活である、これが最大の弱みと成っている。

勿論口に出して言うわけにも行かない、しかしこの事は誰でも周知の事で
今までにも沢山経験してきている事である。
行き着く所双方に死人まで出る大変な騒動となる、さながら日本に昔
有った百姓一揆に似ている。生きる望みを断ち切ってはいけない、最低限
の逃げ道を造ってあげなくてはそれこそ死に物狂いで反撃して来る、そう
なってからでは収まるものが収まらなくなる、この国がいたるところ所で
経験してきた最悪パターンである。

スクウォーター住民とて今の生活に満足している訳では決していないが
もがいた所でどうにも成らない事も又承知している、子供の頃見た夢など
とっくの昔に置き去りにして来た、しかし毎日のストレスは忘れる事無く
蓄積して行く、恨みは政府やその関係者に向けられている、時には裕福な
暮らしをしている者に対しても妬みとしていつも心の中で燻っている。

その次には代替地の無償提供である
結局居場所を提供する以外に彼らスクウォーター住民を今の場所から追い
出す事は出来ないのである。
マニラからビコールの方角に行っている鉄道がある、その線路の両脇に
無数のスクウォーターが出現するのに長い時間を必要としなかった。
何十年も見て見ぬ振りをして来た政府と市はとうとう大排除に着手したの
は4年前の2003年の事だった、その時は代替地を無償提供しわずかな立退き料
を支払って解決したがそれでも立ち退くまでは3年の歳月が必要であった、
そしてフィリピン政府の乏しい財政から莫大な資金が流れ出したのである。
しかも立ち退いたのはマニラ地区が殆どで他の地区はまだ手付かずのまま
現存していて、そちらの方が今回立ち退いた住民の数十倍はいるはずである

今回は計画を立ててそれなりの期間を設けて立ち退きをかけたのではない
全くの偶然の産物として一部のスクウォーターが一瞬消滅したのである
市にも国にも代替地を提供する準備が無い、この方法も無理である。

とどのつまりは・・・。
どちらから回って考え出しても行き着く答えはただ一つとなった、
スクウォーター住民を元に戻す以外に方策は無いのである。正規住人たち
も不承不承では有るが引かざるを得ない、スクウォーターの住民も正規
住民も貧乏、裕福の差だけを取り除けば同じフィリピン人である、それと
暴徒化されるのはもっとも恐ろしい現象である。
市は許可を出す訳には行かないから、目を瞑る事にした、材料費は火事の
見舞金で処理し、建築はスクウォーターの住民がやる事としてとうとう
建設が始まった。
火事その後は此処をクリック