連載手記『エッペのケツ』騒動記九
第二章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピンの実像と疑惑
その4 心変わり その5 急性胃炎???

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今日のたくさんの新たな登場人物、エミさん一家です。


4,心変わり



『仕方がネエから、新品で取り替えるとしてだ、どうする?、どこの修理屋に入れる・・・んッ?・・・それともお前めえの達んトコでバケットやらを取り替えるか?』
『だとすッと、こっちでバケット手配へいしねえといけねえっすぜ、エバスタにも新品は有りやしたが・・・。』
『パーツ代は・・・、その・・・バケットは幾らっくれえ掛かるんだ?』 (注 エバスタ→エバンゲリスタ、Evangelista)

『60,000ペソまであ行かねえって言ってやしたがねえ、工賃込みで、それにしてもテエソウな金額だ!』
『工賃込みってなあどういう意味だ?』
『エバスタじゃ取りけえもやらしちくれって言ってんす、パーツだけじゃダメダって』
『そんじゃあ、お前めえの達んトコじゃダメダな、でも・・・』

と言い掛けて止めた、言葉はフォードじゃなくて大丈夫かなあ?っと言う事で有ったが、フォードが良い訳じゃない事はもう解かってる、しかもエバスタ周辺の修理の腕は間違いないと思っていた、これには訳がある。

私は昔ゴルフ場を2件はしごプレイした帰り道、かなり疲れていた、日本から来た友人と4人、とんでも無く大きい訳じゃないが、事故を起こした事が有る、夜のロハス・ボリバードもマニラホテルを過ぎた辺りから、夜間照明がグッっと少なく成る、ハンドルを切り損(そこ)ねて工事中の中央分離帯に乗り上げた。

単独事故では有ったが酷い事故で、車は殆ど使えないと諦(あきら)めた、幸い私を含め同乗者全員、殆(ほとん)ど無傷で、擦(す)りむいた程度でこれこそ不幸中の幸いだった。
事故当時住んでいたのがエバスタの近く、今から5年以上前になる、何度か修理に出したり、タイヤを買ったりして懇意(こんい)にしていた修理工場が有った、そんな車関係の小さな修理工場をフィリピンではボルガナイジンと言っているがそのボルガナイジンにチョット毛が生えた様な小さな修理工場。

事故車を放って置く訳には行かない、事故現場はロハス・ボリバードの道路上、あの有名なトンドに近い当たり、イミグレーションが有る旧城跡(しろあと)に入る道を越えた先である。その城跡には夜間照明の付いた、昔のお城をグルッと一回りするゴルフ場イントラモロスGCが有り、そこでナイト・プレイをしての帰り道、Uターン場所を間違えて通り越してしまい、かなり走った。

左側は港、右側はスラム街と言った場所である、迎えが来るまでの1時間はさすがの私も気味が悪かった。
何とか車をレッカーで家まで持って来て、次の日修理屋の親父に見て貰(もら)った、1時間程掛けてあっちこっち点検していた親父が言う事は『大丈夫、直る!』

本当かよ?っと眉(まゆ)に唾(つば)してよく聞いてみると、『エンジンまで壊(こわ)れてない、ミッションは駄目(だめ)、シャフトも駄目、車体は叩(たた)きゃ直りそうだ!』っと言う事だ、全部中古部品で事足りた、金額も確か35,000ペソ位だったはずだった、その車が今も元気で働いているスペゴンである。

その他にもある、一時スペゴンのエアコンが調子悪くて仕方が無かったその当時はまだスペゴン1台だけであった、車が遊んでいるのは、家にいる時かビリアモルに居る時である、家にある時は修理屋は閉まっている時間である、そこでビリアモルの近くの修理屋にエアコンの修理依頼をした事が有る。

一回目に修理が終わって車が戻って来た時は、ほんの2日間で同じ症状が出始めた、クレームに出してもヤッパリ駄目、エバスタに持って行って、エアコン専門の修理屋に見てもらったら、一日預けてくれと言う、そして次の日取りに行ったらチャント仕上がっていた、その後4年間ガスの入れ替え以外エアコンの故障は無い。

『ヨシ!決めた!エバスタでやろう!60,000ペソは痛えけど、此の侭(まま)放って置く訳にもいかねえ、しゃあねえや!!』
『解かりやした、じゃあ明日車持って行きやす!』
『俺も仕事が終わったらエバスタの修理屋、一緒に探しに行く。』

次の日、仕事場のNAVYでティーチングしている最中にミスコール、誰だろう?っと見ると半壊のドラだ、直ぐに電話をして見たら、奴の達公の所へ出入りしている近くの修理屋が丁度今来てて、そこで修理するがどうだ?っと言う、どうしてだ?エバスタでいいじゃネエか!っと言うと。

『実はね旦那、奴の話じゃバケットじゃねえんじゃねえかって、言うんっすよ。』
『又今頃に成ってどうしてそんな話に成ったんでい?』
『奴の言うには、両方のバケットが同時にいかれる訳きゃあねえ、て言うんっす』
『って事たあ???』
『もし片っ方のバケットが穴開いてるんなら、片っぽだけケツが落ちるはずだ、って事ってす、こいつあ理屈だと思いやしてね!』

続けてこうも言った。
『もしかしたらホースか何んかが悪くって、それだったら1,000ペソも有りゃぁ直っちゃうって言うんすよ』
私はその時明かりを見たような気がした、前にチョット疑問を持った事が有る、何で両方のバケットを取り替えなくちゃならねえか?っと。

なるほどねえ、餅屋(もちや)は餅屋と言うがホントだ!エバスタに使かいを出したドラには、中古のバケットが有るか無ねえかを見に行って来いとは行ったが、バケットの検査をしろたあ言わなかった、エバスタの修理屋も車を持っていった訳じゃねえし、バケットが悪いと思ってるからね、こいつあドラのお手柄だ!

こんな事を思いながら、『ヨシ!そいつに預けて見ようじゃねえか』っと言った瞬間に又一歩泥沼に足を取られているのがこの時は気が付いていない。


5、急性胃炎???




その日仕事から帰って半壊のドラにもう一度今日有った事を聞いてみた。
『所で、奴あ・・・・、え〜とお・・・名前めえは何んてったかな?』
『誰のっすか?』
『だからその・・・修理屋のよ?』
『旦那、考げえたってダメダ!分かりっこ有りませんや、あっしゃあ、まだ言ってねえっすから』
『だったら早く言やあいいじゃねえか!』
『言えねえッス!』
『ッてやんでえ、名前めえぐれえイイじゃネエか教せえたって!』
『無理だ!そりゃあ旦那!、あっしゃあそいつの名前めえ知らねえすから』

『知らねえのか?名前めえ?・・・・何んでえい!知らねえんなら知らねえって早く言やあいいじゃねえか!・・・・まあいいや、その・・・修理屋はホースで直るって言ってたんか?』
『いやあ、はっきしホースで直る、と言った訳じゃねえっすが、両方のバケットが一緒に壊れるなあ考げえにくいから、他に原因が有るんじゃネエか、ってこってす、そこで例えばホースだったら簡単だって事を言ってたんでさあ』
『成る程お、そんで・・・どこなんでい、その修理屋の有るとかぁ』
『旦那も知ってるっしょ?表通りに出たとこのグッドイヤーの看板が掛かってる、あそこっすよ』

『チョット待てよ〜、あそこの修理工場はあんまし評判が良くねえって話だぞ、確かオーナーは異国人だって言ってた』
『そうっすかい?でも構めえもいいし、見たトコあ設備なんかも立派でしたがねえ』
『良く聞きゃよかったなあ、失敗えしたなあ、でも入れちゃったもなあしゃんねえや、そんでこれからどうするって言ってた?』
『検査をするんで、1週間は掛かるって言ってやした』

エッペの修理で厄介な事は、一回ケツが上がちゃうと、一晩置かなきゃ症状が出るか出ないかが解から無い事だ。
例えばセルモーターの故障なら、直してセルモーターが回ればそれでおしまい、ところがこいつはホースを取り替えて、エンジンを掛け、ケツを持ち上げてから落ちるかどうかの判断は次の日じゃないと解からない。
一日に出来る作業は一つ、検査も一つである、何とも厄介な故障だ、やっぱこの車は米国人の作った駄作車だ。

それから約束の1週間が経とうとしていた時、NAVYでティーチングをしていた私に、店番しているはずのエミさんから携帯に電話が入った、電話に出ると声が違う、妹のメアンの声
『すいません、姉さんがお腹がとっても痛くて我慢出来ないっと言うので、今病院に連れて来ました』
『そりゃあ、てえ変だ!そいで具合はどうだ?』
『姉さんは結構こんな事は有るんですが、暫らく休んでいると大抵は直ってしまうんです、でも今日はどうも痛みも違うようで、なかなか治まりません。』
『どこの病院にるんだ?』
『キリノ通りのニコルス・ホテルの隣の病院です』
『よし!こっちの仕事が終わったら病院へ行くから、って伝えといてくんな。』

腹が痛いっと最近たまに言ってはいたが、病院に行く程じゃない、薬を飲めば直ぐ直ってしまう、所が今日は薬を飲んでも痛みが治らなかったんだろう。
病院へ行って見るとエミさんはベッドで苦しがっている、それを見た私はこれはただ事では無いと直感した、彼女はかなり気丈で痛みを余り訴(うった)えない方である、それが今は脂汗(あぶらあせ)を流して腹を抱えて、正にのた打ち回っている。

側には医者も看護婦も居ない、家族は付いているが、ベッドの横でおろおろしているばっかりである
『何んでこんなに苦しがってるのに治療しねえんだ?』
『さっき注射を打って、薬も飲んだんですが、痛みが引かない様です』
身長は150cm有るか無いか、体重は60kは超えているだろうと思われ、ホンとにこの人がエミさんの?っと誰でも疑ってしまう体系の彼女のお母さんが答えた。

側には、これは間違いなく誰が見ても親子と一目で解かる、お母さんをもう一回り大きくした、さっき私に電話をくれたエミさんの妹メアンが居た身長はお母さんより10cmは有るが、横幅もお母さんより更に一回り以上出ている、後姿はまるで超肥満症の北京ダッグだとエミさんは言う。

エミさんは私が来ている事は解かった様だが、話も出来ないでかなり辛そうである。 エミさんは5人兄弟の真ん中、上に兄貴が2人、下に妹が2人、だが、3年前直ぐ上の兄貴は癌(がん)で他界した、お父さんは脳溢血(のういっけつ)で3度入院したが、何とか命だけは助かって、今は自宅療養中である。

エミさんの身長は165cm以上有り、フィリピン女性では大柄な方、中肉の美形である、末っ子の妹ブンソは背丈は姉のメアンと変わらないが、横幅はメアンの四分の一、ほっそり型のこれまた美形で有る、一番上の長兄マルビンは一見やくざ風、ポリス風(こっちの国はやくざもポリスも一緒!やってる事も一緒!)でしている事もやくざ風、、中肉中背がっしり型、喧嘩はめっぽう強いとの評判、年は今はもう50近くになる。

白髪まぢりの無精髭(ぶしょうひげ)をいつもはやしてるこいつは、実はとんでもねえ野郎で私はこいつに一時苦しめられた、この野郎には恨みツラミ骨髄(こつずい)に徹す、である、もうその時からさかのぼる事4年も前の話しだが、まだ私のショップがマカティに有る時の話し。

突然ですがマカティ(makati)の意味ご存知ですよね?痒(かゆ)いっと言う意味ですが、それではなぜMakati市はこんな名前が付いたのでしょう?実は現在有るMakati市の一帯は昔(多分100万年位前?解かりません?)大きな湿地帯、沼だったのです、これは本当!

その時そこに生息していたのは蛙、数えた人はいなかった様ですが、物凄い数で天文学的数字だったそうです、なぜそんなに蛙が増えたかと言いますと、蛙の大好物のえさ、蚊がこれ又天文学的数字の10乗いたそうです。
この辺に来ると必ず蚊に刺され、誰でもボコボコに成ったそうです、それはとても我慢できるような痒さではなかったそうです。

話を戻しまして、当時私のゴルフ・ショップはサウス・スーパー・ハイウエイ沿いに有った、そこは昔マルコス大統領の奥さんイメルダさん所有のホテルで、大分昔にマンションと成って分譲されていた、私のプロショップはそこの道路に面した1階に有った。

その当時エミさんの長兄マルビンは警備会社に勤めていた、色々有って(実は本当に色々有ったんだが)私の所へ来る事に成った、気は進まなかったが、形は悪い事に私が警備会社から引き抜いた形に成ってしまった、これが2年後に仇となり・・・・、

この続きも是非今お話したいのですが、我慢していつか別の機会で必ずお話し致します、いや!話さずには居られない!その事件の後、私の側(そば)には一切近寄らないっと言う誓約書(せいやくしょ)までマルビンから取らなければ成らない程の事件が有った。

又話を戻しまして・・・ 私は妹のメアンに
『さっき先生が来たのはどの位めえだ?』
『一時間位前です』
『ええ!一時間も経ってんのか?それで先生は何と言ってた?』
『急性胃炎だろうって言ってました』

『急性胃炎?、冗談じゃねえ、この苦しみ方は尋常じゃあねえ!本当に急性胃炎かどうかもう一度確かめた方がいい、先生呼んできな!』
『でもさっき来たばっかりだし・・・』
『だからだよ!さっき来て注射打って、薬も飲んで、一時間もまだ苦しがってるのがおかしいっ、ってんだよ!よし俺が掛け合って来る』

どうもこの辺が納得できない、無知なのか、フィリピンのスタイルなのか解から無いが、こんな時遠慮(えんりょ)してどうするんだろう、っと思いながら、まず看護婦室へ行った、担当の看護婦を呼んで先生に直ぐ来て、もう一度診察するように言った。お母さんと同じ事をこの看護婦も言う、さっき診たばかりだから・・・、である、

私はいいから呼んで来い!何か合ったらお前が責任取れるのか?っと少し声を荒げて半分脅(おど)しつけた。

続く・・・・。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障、          フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を
その故障発見から修理完了までの長い道のりは、          全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った
常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと           一大悲喜劇 『エッペのケツ』騒動記 新連載開始しました。
戦い続けなければならない長く苦しいものでした。
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