連載手記『エッペのケツ』騒動記二二
第三章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピン何処もかしこも疑念の渦
その13 バケットはどうなる? その14 乗り込むべきか?乗り込まざるべきか?

今日の新たな登場人物、は無しで御座います。
みなさんPerya(ペリア)をご存知ですか?フィリピンのペリアは『移動大衆賭博場』とでも言いましょうか、少しだけ写真を・・・。



その13 バケットはどうなる?


携帯にも電話したがいつも出ないが、電波が届かない状態に成っているのでは無い、呼び出しはしているが出ないのである。
居留守を使った所で解決できる訳では無いのは解っているはずのサニーだが、よっぽっどこの間の事が忘れられなくて電話にも出られないらしい.。

あの時私はそれ程意気捲(いきま)くっていた訳ではない、しかしこんなハポンは初めてだったんだろう、クレーム処理係りが聞いて呆れる。
私はフォードに行く前にもう一度電話させる事にした、それでも架かって来ないのなら行くしかない。

『ドラ、もう一回けえ電話しろ、今度もサニーの野郎がいねえって言ったらこう言え、もし電話を貰えないんだったら、又俺がそっちに行く、っと、そ言ってやれ』
『旦那!んな事言ってネエデ行きやしょうや、フォードに!』
『俺だって何度も行くなあメンドクセエんだ、出来りゃあ、行かずに済ましてエ』

『ああっ、又思い出しちゃってい、コネエダのサニー、ネエ旦那ッ!、面白かったねえ、アリャア、マッサオに成って驚いてやがった、何がゴザルでいチキショウメッ!、シャッチョコバッタ言葉使いやがって、俺あ、ああ言うなあデエキレエだ!』
『デエジョウブだ、心配ぺえいらねえヨ!向こうだってお前めえの事なんか、デエキレエだから』
『冗談言っちゃいけやせんや、あんな奴に好かれるんだったら、俺あ、まだコロ野郎に好かれた方がましだ』

『誰でエ?、コロ野郎てなあ?』
『やだねえ旦那とぼけちゃって、イピスすッよお、ゴキブリっ、アブラムシっ、コックローチ』
『バカバカシイ、そんなモン縮めんな、紛らわしいから』
『でも俺あ、電話すんのイヤっス!』
『何で?』
『あんな野郎と話何んかしたかねえっすから!』

『ドラ、お前めえ何んか勘違えしてネエか?』
『んな事ねえっす、旦那今フォードに電話しろって言ったっすよねえ?で居なかったら言伝(ことづて)だ、でも、もし野郎がいたら、話さなきゃなんねえ』
『確かに言った!そんじゃ聞くが、どんな話があんだ?お前めえとサニーで?』
『冗談言いこ無しにしやしょうや旦那、何が悲しくってサニー野郎と話さなきゃ何んねんです?』

『ッだろう?、だからお前めえはサニーと話さなくっていいんだ!俺がサニーと話すんだヨ、ま〜だお前めの出る幕じゃあねえよ、もっとデンッっとしてろい、デンッと!』
『ってこってすヨねえ、何んでえ、つまんねえ心配えしちゃった、旦那で用は足りんだから、ワザワザ俺が話すまでもねえや』
『そうサア、お前めえがワザワザ前めえに出るこたあねえや、そんなチンケな事たあ、俺で十分だ、ナッ、大御所(おおごしょ)っちゅうなあお前めえ、最後の最後に出張(でば)るもんだ、マア心配ぺえしねえで、俺らに任せてくれりゃアいいって事よ』

『身の程知らず!って言うのは沢山居るが、ヤッパ旦那は違うネッ!言う事が控けえ目だ!分を弁(わき)めえてるってなあ旦那のこったあ』
『あったぼうよお!そんで持って、ドラッ、これがいよいよ最後の最後だッ、大詰めだッ、って時が来るッ』
『オウヨ!来たがどしたい?』
『ここが一番イイトコだッ、ヨッ、大統領ってトコだナッ、トウトウお前めえの出番が来る、ナッ!』
『ふむ!ふむッ!そんで?』

『大御所のお前めえがワザワザ向けえへ出張(でば)って行くんだ!』
『ふむ!ふむ!それからどしたいッ!』
『エッペ、タクシーに乗せて連れて来い』
『ッだろネ!どうせそんな落ちだと思っていやしたヨ!』

ドラに3度目の電話をさせた、やはりサニーは居ないと言っている、思った通り居留守を使うサニーに伝言する様に言わせた、今度も、もし連絡が来なかったら、又私がフォードへ行くと。
『旦那、まだ直ってねえんすよ、だからサニーの奴、こっぱずかしくて電話に出らんねえんじゃあ、ねえですかい?』
『おお〜ッ、ドラ、まさかお前めえがそこまで読んでるたあ思っわなかった、てえした者んだなあ、ええッ、ドラ』
『やだな旦那!、そん位れえな事誰だって分からあ』

『誰だって分かるッちゅう事たあ、そりゃお前めえ、人並みッ、て事ッた、なッ、それがすげえ』
『何んでえ、そんじゃ旦那あ、あっしょ人並みじゃねえって思ってたんですかい?』
『全部たあ言わねえ、飯しょ食うときゃ2人並だ』

そして次の日、早速サニーから電話が有ったが、今度は私が仕事に出ていて上手くタイミングが合わない、どっち道直っていないのは解っている、直れば即刻連絡が来る、私がどうしてサニーと連絡を取りたがっていたかと言うと、理由は2つ有った。

一つは勿論ケツオチの原因究明の作業が何所まで行っているのかを問い質す事である、フィリピン人はうるさく言わない客だと思うとナメて仕舞ってホッポットかれる、だからシツコク言って丁度良い。
もう一つはバケットの事である、私の外したバケットを元通りに戻す事を先日言い忘れてしまった、しかし修理箇所が間違いで有る事はサニーも認めたから解ってはいるはずなのだが、念を押して置かなくては何とも心配である。

今度は出るだろうと思い携帯に電話したら思った通り出た
『サニーで御座る』
『オオウッ、俺でエ、comecomeだよッ』
『おお、これはcomecome殿、昨日電話をしたので御座るが・・・』
『こっちゃあ何けえもしたぞッ、まあいいやんな事、所でおいっ、サニーの旦那、いつん成ったら直るんでしょうね?俺のエッペあ?』

『それが・・・・、一ッ箇所チェックするのに、一日掛かりで御座って・・・』
『んなこたあ鼻から承知だ、見通しア立たネエのかい、見通しア?』
『それがで御座る、もう少し・・・』
『そうだな、いい加減な事言やあ、又俺に噛み付かれっから、難しいやな?、なッ、サニーの旦那ヨ?』
『出来るだけ急がせるで御座る』

『クレーム修理だからって、手抜くんじゃネエゾ』
『イヤッ、コレはクレーム修理では御座らん、正規の修理で御座る』
『なんだとう?クレーム修理じゃねえ?そりゃ一体てえどい訳でえ?』

奴の話じゃバケットに異常が有った場合はクレーム対象の修理だが、バケットは正常に動いている、だから違う箇所の故障と言う事でクレーム対象にならない、っと言う事である。
『よしッ、分かった、そんじゃバケットは前めえのと取っ替えろよナ』
と言うとそれは出来ないと言う、私が当初取り替える事を承諾したからだと言う。

フィリピン流の辻褄(つじつま)が合わない面倒臭い事を言い出した、電話では駄目だと思い直接会って話す事にして電話を切った。
これからご紹介するのはフィリピンの魚河岸です、私の行き付けの魚河岸を何回かに分けて写真を掲載します、今日はその1回目魚河岸の外の風景です。いつものように写真クリックで拡大します。


その14 乗り込むべきか?乗り込まざるべきか?


フィリピンでは一旦金を払ってしまうとよほどの事が無い限り返金には応じる事は無い、コレは中国流。
中国人は受け取った金はその時点で自分の物、いかなる理由でも放してはいけないっと言うのが商売の鉄則だそうである。

ご存知のようにフィリピンの上場企業の80%程が中国系企業、やはり商売に徹底した中国流がフィリピンにも根付いている様である。
さてフィリピンフォードも中国人がオーナーかも知れない、等と思いながら次の日ポートボニファシオのフォードへ向かった。

出来る出来ないは兎も角、幾つかの手は昨日から考えてある、古いバケットに着け替えて返金させる、日本なら当り前の行為であるはずの要求がフィリピンでは一番難しい事である。
次に外したバケットの検査をさせてそれをこっちに取り戻す、もし故障していないのなら十分中古として販売できる半値近くで売れる事を知っている。

まだ有る、原因の究明を何が何でも急がせる、放って置くと1年でも2年でも彼らにとってのマイナスが無い限りいつまでも引きずり回される。
そしてクレーム対象修理とさせる事が大事な事、クレーム修理ならば無料、通常修理なら法外な金額を吹っかけて来るのは目に見えている、半分喧嘩状態に成っているからである。

サニーは当然私を嫌っている、自分が種を蒔(ま)いた事でも不利な立場に立たされると逆恨(さかうら)みして来る、"ごめんなさい、反省します"は絶対と言っても過言ではなく有り得ない。
上記3つの要求が通らなかったらどうするか、原因を突き止めてから車を他に移す、又は今直ぐ移す、こう言う場合エッペをヒトジチに取られてる私の方が不利。

何をされるか判らないのがフィリピン、フィリピン流部品交換も好き勝手にやられてしまう可能性も十分にある、しかしエッペを今直ぐ出すと、何をしに来たのか解から無く成ってしまう。
悪くないバケットを勝手に交換され、結局ケツ落ちのまま戻って来た訳である、コレは何とも承服しがたい、最悪の状態の時の対処方法が見つからないままフォードに着いてしまった。

エッペから降りない私をドラが不思議そうに見ている。
『作戦を考げえてるがいいのが浮かばねえ、もチョット考げえさせろ』
『旦那、メンドクセエから啖呵(たんか)切って引き上げやしょう、エッペ』
『ドラ、最初にこけえ来た時の事覚べえてるな?エッ、ドラ!、何しに来たんだ?俺達ちゃあ?』
『忘れちゃったんかねえ、旦那は、エッペのケツ持ちゃ上げる為に来たんすけど、覚べえてねえんすかい?ダイジョブかねえ?』

『よっく、覚べえてた、そんでもって今どうなってる』
『何がっすか?』
『だからエッペのケツだよ、どう成ってる!今』
『エッペのケツあ、おッ、おっこったまんまだ、ネッ、まだ上がっちゃいませんよ、ってんだ』
『そんじゃ聞くが、ここの一ヶ月半、何やってたんだ?金まで払って、俺がこけえ来たんだって今日で3回けえ目だ、こんじゃフォードにいい様にあしらわれてんじゃねえか、納得いかねえ、俺ア』

どうしても不利な状況から抜け出す方策が見つからない、このまま乗り込んだら本当に喧嘩に成ってしまうかも知れない、そうしたらヤッパリ私の損にしか成らない、癪に障(しゃくにさわ)るがそれからはどんどん悪い状態に成って行くのが見える。

『帰けえるぞ、ドラ!』
『あれッ!話すんじゃねえんすかい?サニーの野郎と、してポンポンポーンって啖呵(たんか)切って、奴らビックリさせてやりやしょうや!』
『そんで、始末あドラ、お前めえが着けるか?』
『冗談いっちゃいけねえや、あっしゃ大御所(おおごしょ)だよ!最後の最後にエッペタクシーに乗せる仕事が残ってらあ、そんなチンケなこたあ旦那の仕事だあな』
『じゃッ、帰けえろう、今の俺にゃあ勝ち目あねえや』

この時私は帰る事が一番良い方法だと思える他に、幾ら考えても全く勝つ術(すべ)が見つから無かった。
そのままフォードに行っても喧嘩に成らないだけの自信がなかった。
その結末はますます状態を悪くするだけで何の解決にも成らない事は火を見るよりも明らかだった。

家に戻って来てから色々考えた、話し合いに行くのだから大人しく話せば良い、なにも喧嘩腰(けんかごし)で話すのが話し合いでは無い事位解っている、しかしそこには大きな壁が有る、言葉の壁だ、私は日常会話程度ならタガログで何の不住もしない。

所が込み入った話や、討論形式(とうろんけいしき)に成るとこれは全く無理である、小学校3年か4年程度の語学力では人を上手に説得して納得させるまで引っ張っていく事は出来っこ無い。
これが一番の泣き所である。

私はこれからどの様な行動を取るのが正解か、どうすれば損無く切り抜けられるかを考えなければならない、どうやったら一番利口な立ち回り方なのだろう・・・・??。

結論をあせる事は無いがゆっくりしていて良いものだろうか?ゆっくりしていると何が不利になるのかな?サニーだって一応フォードで肩書きを持って動いている人間だ、大学位は出ていなければここまでこれない。

此処で2つの方法を考えた、前のフォードで使ったフィリピン流常套手段(じょうとしゅだん)、最後の手、もう一つは待つ事だ。
今までの私の大きな失敗は古いバケットを引き取らなかった事、しかしこれとて本当に私の物かどうか、又フォードで穴を開けられたかどうかも疑って掛かれば切が無いが、しかし私には有る作戦が有った。

サニーの人柄は前のアラバンフォードのカクヅラよりはまだ人間として出来ている様に思えた。
よし長期戦で行こう、待つ事にしよう。

もうカレンダーは6月に替わっていた。

続く・・・・。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障、          フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を
その故障発見から修理完了までの長い道のりは、          全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った
常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと           一大悲喜劇 『エッペのケツ』騒動記 新連載開始しました。
戦い続けなければならない長く苦しいものでした。
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