連載手記『エッペのケツ』騒動記十九
第三章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピン何処もかしこも疑念の渦
その7 Aプロの仕掛けは成功してしまった。その8 家賃100%値上げ、エッペは長期療養!

今日の新たな登場人物。
今日はろくな登場人物がいませんでした


その7 Aプロの仕掛けは成功してしまった。

今日はバクラーランの第二回目、写真クリックで拡大。





ビリアモルでティーチングの仕事をするには、VGCメンバーに成らなければならない事に決定した訳だが、その条件の1つとして政府発行のガブ・ライセンスが必要条件と変更に成った。
今まではこの条件はなかった、このライセンスはトーナメントに出る為には必要だがティーチングをする分には必要の無いライセンス、今までは所属プロなら誰でもVGCメンバーに成れたのだ。

トーナメントに出場しないプロは沢山いる、中には出場しても予選通過の見込めない若いプロも居るが、殆どが高齢者、彼らにはこのライセンスは必要無い。
年をとってトーナメントには出られなく成って、もうティーチングしか生きる道がないプロでもVGCメンバーに成るためにはガブ・ライセンス取得が必要条件、矛盾した様な話しだが、決まってしまった以上ティーチングの仕事をして行くには取得するしか道は無い。

しかしガブ・ライセンスを取得するためには幾つかの条件をクリアーしなければならない、政府発行のライセンスであるだけに条件は厳しい。
まずプロ協会の承認(PGAライセンス)が必要なのは当り前の事。
しかし、プロ協会に支払うメンバーフィー年間2,500ペソさえ滞納(たいのう)しているプロがいっぱいいる、払わないのではない、払えないのである、これが3年以上連続の滞納と成るとライセンス剥奪(はくだつ)と成る、そんなライセンスの無いプロも結構居る。

どちらにしろメンバーフィー未納の者はメンバーと認められない、勿論ライセンスは発行して貰えない、従ってガブ・ライセンスの申請すら出来ない、滞納分を何とかして工面したとしても次のハードルが待っている。
その厄介(やっかい)なハードルが身体検査(胸のレントゲン写真、脳波測定書、血液検査、尿検査書、等)が必要と成る、4日間のトーナメントに出場して十分耐えられるだけの体力が無ければだめだ。

持病のあるプロもパスしない、勿論ドラッグテスト(覚醒剤、大麻 等)もする、これは担当員の目の前で小便を出さなければ成らない、しかもこの身体検査は全ては有料で約2,000ペソ掛かる。
今まではプロのライセンスが有れば、いやライセンスが無くともプロであれば、誰もがティーチングの仕事が出来たのだが、今回はそうでなく成ったと言う事。

最悪のプロは職場を去らなければ成らないし、今まで溜まったPGAメンバーフィーの支払い、ガブ・ライセンスを取得するための経費(約2,000ペソ)しかも高齢者だと身体検査でクリアーするとは限らない。
もし身体検査で落ちたら支払った経費全てが無駄である、検査を先にしてもし大丈夫なら・・・、っと考えるだろうが、これは駄目、ガブ・ライセンスを申請後でなければ成らない規定。

検査をするのはどこの病院でも良い、しかし結果を判定するのはガブの担当医、そのドクターが太鼓判(たいこばん)を押さなければ誰が良いと言っても通じない、一般人の審査基準では無く、スポーツをする為の検査である。
ガブ・ライセンスを申請するにも申請料が必要でライセンス取得後にも交付料が必要これで又1,500ペソ。

ガブ・ライセンスを取得するためには最低6,000ペソ掛かり、これは毎年の事である。
その為にこの特典7はプロの死活問題を引き起こしている最悪な条項と言う事に成る。
Aプロが仕組んだ事とすぐ知れた、プロ連中は大変な騒ぎ、VGCメンバーで無いプロ、っと言ってもビリアモルの練習場では一番の古株、言ってみればAプロの大先輩である。

彼が昔からの自分の生徒にティーチングしていた時の事、Aプロが彼の側に行ったかと思うと耳打ちしている、勿論内容はティーチング禁止の事だ、言われたプロは生徒にその事を告げ、謝っている。
GMの命令である、表面上では恰(あたか)もAプロがそれを忠実に遵守(じゅんしゅ)しているだけなのである、何処からも、誰からもクレームを出したりやコンプレインするプロ等居るはずも無い。

何たってGMの言葉はビリアモルの法律そのもの、Aプロに逆らう事すなわちGMに逆らう事の図式が出来上がってしまった、それはその年の3月の出来事であった。
そんな事が度々有りメンバーで無いとティーチングの仕事が出来ない、ほとんどのプロ連中も、不承不承(ふしょうぶしょう)VGCメンバーの登録をしたが、それから数ヶ月経った頃でも条件をクリアーできないで居るプロが10人以上も居る。

ここでは仕事が出来ないため他のドライヴィング・レンジに移っって行ったプロも大勢居る、これがAプロの狙い、出来るだけプロを少なくして、生徒をより多く自分の所へ来させようとして考え出した姑息(こそく)な手段が成功した、その年の6月には今まで30人いたビリアモルのプロの数は半分程に成っていた。

その他(ほか)新GMになってから今までのシステムから変更に成った条項も沢山有る、例えばVGCメンバーの特典も変更された、前出の特典2、練習ボール特典(1日5箱まで無料、それ以上は通常の50%引き)も、今では1週間で4箱まで、と変更されてしまった。

特典5のキャディー無しラウンド、これはビリアモルが設立された当時からのプロに対する特典だが、それも始めて禁止となった。
その他プロに対してだけではなく全てに置いて非常に厳しくなった、と言うよりもそこで働く者に対して冷酷(れいこく)になった感じである。

事態の悪化はそれだけですまなかった、とうとう私にもダイレクトにショップ存亡(そんぼう)の危機問題が直前まで迫って来ているのを、うすうすとと感じる時が訪れた。

そしてエッペにも異変が再び起きた、1月も半ば、ビリアモルでは丁度AプロがGMに取り持ち始めた頃で有った。
ある朝、いつもの様に仕事へ行こうと下へ降り、ドラを呼んだ。

『ドラ、そろそろ行くぞ』
『旦那、ビックリしないでおくんなさい?って、アッシはビックリしやしたがネ、エッペのケツが又落ちた!』
『何寝とぼけてやんでい!まだ顔も洗ってねエンだろう!てめえは』
『ホントに、寝ぼけや冗談ならいいんだがナ〜』
『って事は!ホントにエッペノケツ・・・・、落ちてんのか?』

私は表に出て見て驚いた、私こそ寝ぼけているんじゃないかと自分自身の目を疑った、とっくに忘れていたあの忌々(いまいま)しいエッペの姿が再びそこに再現されていた。

その8 家賃100%値上げ、エッペは長期療養!



バクラーランの第三回目、写真クリックで拡大。




最初のGMとのミーティングでいきなり家賃を倍額に増額された契約書の更新書類を見せられた、その他かなりきつい条件を出して来た、その一つに修理行為は一切してはいけない、販売のみをする事、っと言う項目が有った。

訳を聴くと、なるほど確かに一見理屈は通っている様に見えるが、私にとっては全く納得行かない、修理専門のショップが敷地内に有るので修理はそちらに任せ、販売だけにするのが筋だという、しかしそのショップよりも以前に私は出店して修理もやっていた、新参者が来た時は私に泣けと言って置いて、今度は修理一切をしては成らないっと言う。

しかしこれはどだい無理な話、、私は書面で答えた、「話は良く理解できる、しかし修理を全部やめる訳にはいかない、販売した商品のアフターサービスも有るし、店の商品の修理もある、それだけは許可してほしい。」 それに環を掛ける様に、営業時間の制限まで付けて来た。
午前9時から午後6時までの営業時間厳守(げんしゅ)、しかし、ドライビングレンジの営業時間は朝5時オープン、ボールのラストオーダーが午後9時、後はそのボールが打ち終わる迄で、クローズは大体10時過ぎになる。

なぜ営業時間まで制限して来るのかその時は不思議でならなかった。
そこで私は考えた、どうも私のショップを追い出しに掛かっている様な雰囲気で有る、なぜなのか? 営業時間に関する事も、書面で回答して、「ドライビングレンジの営業時間内」に変更依頼した、そしてこうも付け加えた「修理専門のショップには商品販売をさせないで頂きたい」

勿論以前から付き合いのある修理をやっている親父がゴルフクラブを売っているのは承知していた、しかしそんな事目くじら立てる程の事でもない、オヤジは金もないし、仕入れだって出来ない、ほんの少しの金を回しているだけである。

結局修理の件は私の申し出は通ったが、店外での修理は禁止されてしまった。
家賃の事では参った、このショップをレンタルした当初は、内外装を自己負担でするので家賃は安くするが、閉店する場合が有っても内外装費の請求権を放棄(ほうき)する事、と言う契約書を結んだ。

しかし前に話した様に、チアマンと些細な事で、やり合っててしまい、家賃を倍増されたのが2年前、そして今度は又その倍額である、当初より300%アップになった訳である。
これに付いては書面でなく直談判(じかだんぱん)をする事にした。

一方エッパのケツにはウンザリである、一時は確かに治ったが、同じ症状が出るまで2ヶ月とは持たなかった、これは又違う箇所が壊れたと考えずにはいられなかった、それともやっぱりトラモでは無理だったかな?。
最初にケツ落ちが発生した時は慌(あわ)てたが、今度は見慣れている性もあり落ち着いて考えられる、慌てなくとも良い、エンジンを掛ければ元に戻る、しかしだんだんとケツ上げに掛かる時間は長く掛かる様に成って来ているのは全く前回と同じ症状。

私は3つの選択肢の中からどれを選ぶか考えていた、一つはもう一度トラモに預ける事、もう1つはエバスタに持っていって見る事、最後はメーカー・フォードの工場に入れる事である。
しかし何処に出しても完璧に思える所は無かった、トラモはオヤジが直接手を掛けるのでは無く、弟子にやらせるしかない、もし弟子が解らなかったらどうする、それだったら直接フォードの方へ出した方が手っ取り早い。

しかしフォードの工場に入れたら今度は寄って集(たか)って弄(いじく)り回し余分なものまで取り替えられそうである、以前のアラバンではオルタネイタを危うく取り替えられる所だった。
エバスタの一番心配なのがフィリピン流部品交換である、あそこら辺の修理工場は軒並みやると言う評判は昔から言い伝えられて来たことである。

特にエッペなど良い餌食(えじき)で有る、しかも相手は日本人、よだれを垂らして待っている事だろう。
『ドラ、やっぱ修理に出さなきゃだめだ、いつまでもこうやってられるもんじゃねえや』
『何処に出すんすか?』
『3つ方法がある、トラモのオヤジんトコ、エバスタ、最後はメーカーだ、但しアラバンはいやだ!』
『最後に修理したとかあトラモだッ、順番からいやあ、やっぱトラモじゃねえんすかい?』
『そりゃあそうなんだが、あそこはオヤジが直接見る訳じゃねえからネエ、弟子を呼ばなくっちゃだ、それにオヤジの手に負えねえと思ってるんだ、今じゃあ』
『そうっすかねえ?まあ旦那の考げえで決めるこった、あっしゃ何処でもよござんすがね』

それから2週間後に私が決めて、修理に出した所はポート・ボニファシオに有るフォードの工場であった、それは始めてエッペのケツが落ちてからおよそ5ヶ月が過ぎていた。
そしてこれが又裏目と出て、その後半年間もフォード・ポート・ボニファシオに私のエッペは長期滞在する羽目に合うとは、この時点で全く想像もつかなかったのは、私に取っても無理のない事だと思う。

ビリアモルのGMとの話し合いが二人のタイミングが合わずのびのびに成っていたが、それはけしてマイナスに働いてはいないと思った、お互いに考える時間が取れたからである。
GMと話し合ったのはエッペをフォードに入れた時と同じ時期であった、私はGMに今までのショップの家賃上昇の経緯(いきさつ)を説明した。

『当初私がこの場所へショップを出す前、此処はドライビング・レンジのキャッシャーでした、ショップにする為には外壁を3方壊し、新たに後ろへ延長して、以前は左側面が出入り口だったのを前面に持って来る様な、結構大掛かりな工事をしなければ成りませんでした。 その為以前のGMには家賃を安くして貰いましたが、ショップの改造費は全て私持ちで、しかも出来上がったショップの建物の権利を放棄させられました。』

私は続けてこう言った。
『しかしその後チアマンの理不尽(りふじん)な要求を呑まなかったために、今の家賃に引き上げられました。したがって今回要求されている金額は到底納得できる物では有りません。何とかそこの所を考えて頂きたい』

私はGMがどう出てくるか内心はかなりドキドキもんだった、
『じゃあ契約破棄(けいやくはき)にしましょう』っと言われても仕方ない立場、軍隊は非常時の事も考え軍隊内の営業契約は1年と決まっている、私のいやな予感は良く当る。

そこでGMの答えはアッサリしていた、『解りました、50%UPで承諾して下さい』今度ばかりは私の悪い予感が外れた、いつもこう有って欲しいものである。

しかしショップ存亡の危機問題が私の肩を叩くのはこの直ぐ後の事であった。

続く・・・。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障、          フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を
その故障発見から修理完了までの長い道のりは、          全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った
常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと           一大悲喜劇 『エッペのケツ』騒動記 新連載開始しました。
戦い続けなければならない長く苦しいものでした。
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