連載手記『エッペのケツ』騒動記十四
第二章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピンの実像と疑惑
その14 トラモのオヤジ、登場!! その15 いよいよオーナーと対決!!

今日の新たな登場人物
人物をクリックすると自己紹介します。



14、トラモのオヤジ、登場!!

トラモの工場は車2台がヤットの狭い所だ、画像をクリックで拡大




トラモのオヤジに電話をした、『実は俺のエッペのケツが落ちて、ある修理工場へ入れたら・・・・・』
一通り話してから、どう思う?っと聞いてみた、話方もゆっくりなオヤジである、江戸っ子の私には、たまに歯痒い時も有るが、このオヤジは人のペースに乗らず、決して慌てない。

『そやな〜、そりゃやられタンと違いまっかあ?、でもしゃあない、諦めた方がよろしおまっせエ、深みに入ったらあかん!なんせ、あっこの旦那はんは噛み付きよるさかいに』
『お前めえさんとこで何とかなるかい?』
『見てみいへん事には、よう言わへんけど、あんさん困ってんやろ?何んとかなりまっしゃろ、こちゃ持ってきいや』
『ただ、エッペのケツが落っこちまったままだ、そこまで自走できるかな?』
『心配あらへん、あっこの工場から、うちまで、ほんの3kmたらずや、ゆっくり来たらよろしおまんがな』

『よし、じゃあ、いつにする?今日でもイイか?』
『よわったなア!・・・・どないだっしゃろ、明日にして貰えんやろか?、今日はあいにくたてこんでいるさかい、そうして貰えると助かるんやけど・・・』
『イイって事よ、今更一ん日遅らしたってどうって事ありゃしねえや、そんじゃ明日持ってっから頼まあ』
『よろしおま!』やけに関西弁の上手いバタンガス生まれのオヤジである。

『ドラ、NAVYに行くぞ!』ドライビング・レンジの椅子で船を漕いでるドラに近付いて耳元、わざと大きい声でこう言った、 ドタンッ!っと大きな音がしたが、振り向かなくても、ドラが椅子からずり落ちたのは解った、私は早足で駐車場へ向かった。

今日の生徒の一人、彼のニックネームはツヤさんは、一時期かなり上手に成り、私と回ってハンディを1ラウンド6ストローク上げるといい勝負をしてしまうまでに成った、しかしツヤさんの最高潮の時にアクシデントが意地悪く進歩を阻んでしまった、一般に言う50肩である。

酷い時は茶碗も持てない時期が合ったらしい、私にもそれ程酷くは無いが、肩痛は有ったが知らぬ間に直ってしまった。彼の体型はエッペの元オーナーお坊さんと同じで身長は160位、体重75Kgほどのズングリムックリ型、お坊さんは40才そこそこだで、頭も自分で剃っていたが、ツヤさんはもう60才を過ぎていて、自然天然のスキンヘッド、ツヤ光している、。

自己流でゴルフを始め、暇と金をフンダンに使ったゴルフで腕を磨いて来た、これは練習を怠ったり、暇と金がなくなると、殆どゼロに戻る、何も残らないのである。
チャントしたスウィングを身に付けた人は例え1年間クラブを振らなくても、1ヶ月か2ヶ月あれば殆ど元に戻る物である。

ツヤさんも長い低迷時期に入り、そこから抜け出せなくなっている時に私の所へ来た、60才に成り立ての当時は顔も頭もテカテカ、精力絶倫に見えた、しかも見た目だけでなく、力も強い、幾らか年下でプロの私も彼のドライバーにしばしば置いていかれる事も有った。

上半身の強さが特に目立つ、スウィングもそれに頼ったスウィングである、右手主導の典型的なスウィングは打つ度に飛距離が違う、5アイアンでも160Yの時もあれば180Yの時も有る、これはミスショットとは種類が違うため厄介である。

もう一人の生徒はツヤさんの友達で年は私位、全くゴルフ・スウィングに成ってない人、体型はツヤさんと背の高さは同じ位で横だけ一回り大きくした体型、私は彼の事をヒポポタモスのヒポさんと呼んでいる。
ビギナーは初心者の意味、25年もこの人はビギナーをやっている、コースも頻繁に出る、しかし私なら1ラウンド30ストローク上げても負ける事はない。

たまに思い出した様に一緒に来るが、練習など全く縁は無いと豪語している位である、この人のクラブセットを見る度にゴルフはクラブじゃない事を実感する、ヒポさんのクラブはミズノに作らせた特注品で、1セット120万円もする。 二人のティーチングを終わったのが3時チョイ過ぎ、クラブ・ハウスで飯を食わないかと誘われ、特に用事が有る訳でもないので一緒に飯を食った。

その時私がエッペのケツの事を話したら、二人ともやはり車の修理では、いつも大苦戦していると、3人同病相哀れんだ話となった。
その話の中で特に酷い話はツヤさんの話だった、そんなに古い話では無く、つい3〜4ヶ月前の事、エアコンを効かすとオーバーヒート気味だった車を修理やに持っていったら、『ラジエターに穴が開いていて、その水がエンジン・ルームに入ってしまっているから、エンジンのオーバーホールとラジエターの交換が必要だ』っと言われたらしい、こんな事ウソであろう。

全くタガログが解らないツヤさんは奥さんの通訳を通して全て話さざるを得ない、難しい日本語は奥さんも解らないし、まして車の事はツヤさんも解らない、奥さんはラジエターすら始めて聞く言葉、そんな二人を見破った修理屋は牙を剥いて襲い掛かった。

ミッションのオーバーホール、ブレーキ・ディスクの交換等々好き勝手にやられたそうである、後で250,000ペソの請求書を見て2人は腰が抜けたそうである。

その、後日談をツヤさんが続けて、金額は20.0000ペソに負けてくれたし、修理も2日でやってくれたから仕方が無いかと諦めているっと言うではないか、今度は私が腰を抜かした、どんなスピード修理でもこれだけ全部を2日間で出来る訳が無い、ヤラズボッタクリに合った様である。

明日はエッペを工場から出そう。


15、いよいよオーナーと対決。

NAVYのティーチング風景、クリックで写真拡大




今日は都合よく午前中のティーチングは入っていない、修理工場から車を引っ張り出さなければ成らないが、スンナリ渡すはずがない、何しろもう2週間近くは入れっぱなしだ、場所も、人件費も掛かってる事には間違いない。

奴にもし負い目が無ければ修理をやらせろと言うに決まってるが、それは絶対受け付けない事に決めている、工場に入れた時はエッペのケツは上がってた、それが今はポンプの故障で上がらなく成っている、部品交換か、故意、又は不注意でポンプが壊れている。

負い目が有っても相手は商売人だ、ただでは引き渡さない、どんな条件を出してくるだろう?、もし部品交換が行われたのならせいぜい2〜3,000ペソと踏んだ、向こうには中古であれポンプが残るからだ、その場合はポンプ以外の故障はないはずである。

例え有ったとしても既に修理済みのはず、次に、これは一番考えにくい事だが、もし故意にポンプを壊したのなら、必然的に他の部分は修理済みと考えられる、厄介なのが不注意でポンプを壊してしまったケース、これだともしポンプを交換しても直ると言う保証が無い。

しかし故意、不注意に関わらず壊してしまったのなら7〜8,000ペソは言って来る、自分の責任範囲などと言う事には全く関与しないであろう、兎に角損がイヤなのである、もう一つ考えられる事は、オーナーは何も知らず、全て従業員、例えばキョンシー達だけで何かを仕組んだとしたらどうなる?。 工場側にが負い目が無いと考えるのは、この場合だ、これだとやはり7〜8,000ペソは当り前に請求してくる。

今日はこの辺の駆け引きに成って来るはずである、ポンプ代込みで3〜4万ペソは覚悟しなければ成らなかった。
『ドラッ!、修理工場へ電話して、オーナーが居るかどうか確かめろ、もし居たら今から行くから、待っててくれっと言え。』 電話をしているのを側で聞いていると、どうやらオーナーは居るようだ。

『旦那、オーナーが待ってるって言ってました』
『よし!じゃあ行こう』
修理工場へ着いたのは午前10時頃、オフィースは工場を入って突き当たり、今と成ってはうる覚えだが、右側半分が倉庫に成っていたと思う、オフィースは左側、前面はガラス張りで工場内が人目で見渡せる。

オフィースを入ると左端に二階へ行く階段、右端に応接セット、正面にカウンター兼ガラスケースが階段下から応接セットの近くまで延びている、ガラスケースの中と奥の棚には部品や商品が並んでいる、何処にでも有る自動車屋のオフィース風景である。

オフィースに行く途中エッペを見ると、今日も定位置で、しかもリフトで上げられている、下げて置くと邪魔なのかな?ドラをエッペの所に残してオフィースに入る。
ガラスケースの向こう側には年は21〜2、色のやけに白い異国人娘と、もう少し若く見える色のやけに黒いフィリピン娘がいた、私は異国人娘に、表を指しながら
『そこに有る赤いエッペの持ち主だが、ここのオーナーは居るか?』っと自分でも思うがタドタドシイ英語で聞いた、

『少々お待ち下さい』は決まり文句、それに加えて『ソファーでお待ち下さい』と付け加えて2階へ上がって行った。 異国人娘はオーナーらしい男を連れて直ぐに降りてきた、彼はそのままソファーに座っている私の方へ近づいて来た、中肉中背、めがねは掛けているが特徴の無いやけに色白の顔、『私がオーナーの異国人です、良くいらっしゃいました』っと言って握手を求めて来た、私も『ハポンです、宜しく』っと言って握手を受けた。

『私の車はどこが悪いんですか?』っと私は切り出した、これからオーナーはどう出てくるかが見物である。
『貴方から電話を頂いて調べましたら、エアー・サスペンションにエアーを送るポンプが故障しています』
『そうすると、私のエッペのケツは上がりませんよネ?』
『ポンプを取り替えれば上がりますが、今は上がりません』

『私がここへ修理に出した時は上がってたんですが?』
『ケツが上がらないから修理に出したんでしょう?』
『いいえ、そうではなく、エンジンを掛けるとケツは元通りに上がっていたんです、っと言う事はポンプはその時故障してなかったと言うことに成ります』

『私はそう聞いていません、貴方のエッペのケツはここに来た時から上がらない、っと聞いています』
『それは誰から聞いたんですか?』
『キョンシーと言う男ですが、もう1週間位前に田舎へ帰りました』
全く私が予想していた通りの展開で、面白くもなんとも無い、ただ彼の英語は非常に解り易かった。

『キョンシー君に連絡は取れますか?私のエッペを渡した時にケツが上がるのを彼は確認しています』
『申し訳有りませんが、連絡は取れません』
これ以上押すのは無理である、携帯だって連絡は取れない訳じゃない、連絡を取る気など有る訳ない事が解った。

『それではポンプを交換するのに、幾ら掛かるんでしょうか?』
『部品代が35,000ペソ、技術代が3,000ぺソで、合計38,000ペソ掛かります』
『そうですか、それではもっと安く出来る所が有りますから、そこで修理します、今日、私のエッペを出します』
っと強い口調ではっきり言った。

彼はこの言葉を全く予想していなかった、不意を突かれて当惑している。
『チョット待って下さい』っと言って工場の方へ向かった、これからが危ない、最後通告をしてしまったら、直ぐにそのまま車を出してしまわないと何をされるか解らない、私は何が何でも、今エッペを連れて行く。

続く・・・ 。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障、          フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を
その故障発見から修理完了までの長い道のりは、          全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った
常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと           一大悲喜劇 『エッペのケツ』騒動記 新連載開始しました。
戦い続けなければならない長く苦しいものでした。
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