連載手記『エッペのケツ』騒動記十三
第二章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピンの実像と疑惑
その12 一人相撲に注意!! その13 私の頭はドラなみか??

今日の新たな登場人物
一人だけです、キヨシをクリックすると自己紹介します。

12、一人相撲に注意!!

マニラの夕日、昔はこんなに綺麗でした、画像をクリックで拡大




ドラと別れて何軒か知り合いの店や、それらしい店を当ってみた、シリアルナンバーは間違いなく有る、っと言う事は解った、がヤッパリ中古は無い、修理も現物を見ないと解らないが、特殊な部品は無い、最近ではメーカーが小さな部品だけは出さない、と異口同音。

道に迷った、こう言う時は立ち止まって良く考える事が一番、当てずっぽうで進んだら深い迷いに入り込む。 相手は車のプロじゃない、ズルのプロ、詐欺師だ、フィリピンで詐欺師は車の修理屋だけじゃ無い、全てのものに対して、ズルが行われる、小さな商店や工場に最も必要な商売の常道「お客から信用を得て・・・」は全てとは言わないまでもこの国には殆ど無縁。

考えている事は、手段を選ばず、あらゆる手練手管を用いて、今捕まえた獲物から、どれだけ血を絞り取れるか、まるでその事のみに執着しているかの様である。
その為、お客はいかに騙されないかを常に用心しなければならない。確かに発展途上国にはこのような『生き馬の目を抜く』現象は見られるのだが、この国は延々と発展途上国を続けている、昔有った言葉、ヤッパリ『後進国『の言葉が似合ってしまうフィリピンである。

作戦の練り直しが必要なようだ、私が修理工場のオーナーで、もしズルをするならどうだ?シリアルナンバーは当り前に知っている、もし部品交換をして客にばれたらそれこそ大変だから、出来る限りッシリアルナンバーを同じにしようと努力する。
今度の相手はフィリピン人では無く異国人である、その位は考えているで有ろう、私が持って行く写真が本当に自分のエッペのポンプならば、そして違うシリアルナンバーの物と取り替えられた事がハッキリすれば、この写真は証拠となるが、何と言ってもでっち上げで有る。

今私は冷静ではない、こんな時は得てして自分の都合の良い事だけを考え易い、一人相撲をしてマイナスの上塗りをしてしまった経験も幾く度かある。
頭を良く冷やしてから考えをまとめよう、今の私の頭はオーバーヒート状態、これではエンストする。
ドラに電話をして
『どうだ?有ったか?修理屋は?』有る訳がないのである、有ればミスコールが入るのだから
『帰るぞ、スペゴンに戻れ』時刻は午後5時を指すまで、あと5分であった。

病院に寄ってもう一度エミさんの様子を見ようと思った、果物屋によりマンゴとバナナ、パパイヤ、カラマンシーを買い、ジュース類を何本か持ってキリノ通りに来た時には、右側に時々見えるマニラ湾に、今日はいつに無く綺麗な夕日が見える時刻に成っていた。
エミさんは話は出来るものの、持って来た果物はおろか、ジュースも飲める状態にまでは、まだ回復していなかった、術後の経過は順調だとお母さんは自分と瓜二つの体型のメアンと共に私に報告してくれた、今日の夜は痛むかも知れないな、っと思いながら、部屋から出て屋上へタバコを吸いにでた。

さっきスペゴンからたまに見えていた夕日を、今度はゆっくり見ながらやけに忙しかった今日一日を振り返えってみた、マニラ湾の夕日をこんなにゆっくり見るのは何年振りであろう?丁度今夕日のド真ん中を真っ赤に染まった一機の飛行機が左から右に渡っていく所が見える、乗客もキットこの夕日には感動の声を上げているはずだ。

昔ハリソン・プラザの直ぐ近くロハス・ボリバード沿いにホリデイ・インと言うホテルが有った、フィリピン・プラザホテルに入るわき道の丁度海と反対側、今は名前は変わってしまったが、建物は同じである、このホテルは全室から海が見える様に設計されている、しかしマニラ湾のサンセットは海を背にして左側の窓からしか見えない、10階以上上ならば夕日が海に沈むまで見えた。

当時は空気もさほど汚れてなく、沈む太陽の輪郭がハッキリ綺麗に見えたものである、世界でも3本の指に入るマニラ湾のサンセットも、マニラ湾の埋め立てと空気の汚染で今ではあのホテルからは見る事が出来ないかも知れないなあ・・・。

改まって考えてみると、怒りまくり、焦りまくっていた今日の自分自身の余りにも滑稽な行動が思い出され、思わず苦笑が漏れた。
ポンプのズルに固守するのはもうよそう、エネルギーの無駄遣いだ、しかし全く期待はしていないがオーナーとは一度会おう、このまま何も言わないで終わらして、『しめしめ上手く行った。』っと思わすのはしゃくに触る、少なくとも悪事はバレていた事位は解らせよう、今後の為にも・・・・ならねえか?。

それは良しとして、これからどうしよう?まずポンプは直さなければならないし、ケツ落ちの原因がポンプで無かったらポンプを交換してもまだケツは落ちる事に成る、しかし本当はポンプ以外の場所が悪くてケツ落ち症状が出ていて、例えばそれがホースだったらもうそれは修理工場で直しているはずである、それで無かったらポンプの部品交換等は出来ない、ただし間違ってアームを壊してしまった場合は、ポンプを取り替えてもケツ落ちは現れるはずである。

さて、どこで修理するかが問題だ、当初の予定通りエバスタか?それともトラモのオヤジの所はどうだ?リフトこそ無いが、ポンプの交換ぐらいなら出来る、ここのオヤジはなかなか熱心に仕事をする。
スペゴンのエアコンが壊れた時、有る人に紹介されて知り合った、その時のオヤジの仕事振りを見て気に入り、小さい修理はここへ持って来ていた、ただ大きな修理や専門的な知識が必要な修理は無理そうで有る、例えばエッペのケツ落ちの原因を調べる様な事は出来ないだろうが、原因が解っている場合は問題が無い。

エアポート・ロードからエドサ通りに抜ける道、トラモ通りにオヤジの修理工場がある、それでトラモのオヤジと呼んでいる、初めてオヤジの所に行った4年程前は今の半分以下の敷地だった、もっと広い所に越したいと言っていたオヤジが100mエドサ通り寄りの今の場所に移れたのは2年前であった。

しかしメンドイ問題が有る、エッペのケツは上がらない、その状態でトラモまで走れるか?全くサスペンションが効かないまま自走する事は可能で有ろうか?もし不可能だとレッカーを調達しなければならない、今の工場でポンプを交換する事は全く頭に無かった。

エバスタ(evangelistaエバンゲリスタ)はトラモから更にまだかなり遠いので自走は全く無理であろうが、今の工場からトラモまでは2kmそこそこである。
電話をして見ようか?っと思ったが止めた、番号はエミさんに聞かないと解らない、今は無理である、時計を見ると6時を過ぎている、ここからオヤジの所まで空いていれば10分も有れば行けるだろうが、工場が開いているかどうかは微妙な所だ、 明日にしよう。

その時に成って今日一日何も食べていない事を思い出し、急に腹が減って来た、この辺じゃ私の食べる所は無い、今日の夜のティーチングは一人だけ8時半の予定が入っている、クリスマスソングの"「・・・・こオのよオる」の前"の所で飯食うか?マカティ・スクウェアーの隣に有る日本食レストラン菊富士は、今でこそたまに行くだけだが、ティーチングを本格的にやり始める前は、昼夜毎日2年位続けて通っていた事がある。

私はドラに、今飯は我慢しろよ!、っと言った事は有っても、飯は食ったか?等と聞いた事は無い、ドラが食事を我慢する事など絶対に有り得ない事は十分承知している、あいつはどこでも食えるし、スキッパラを抱えながら仕事をするような奴じゃない、仕事は忘れても飯を食う事だけは忘れない。

しかし一方ドラの良い所も有る、奴はウソを付かない、ミスをしても自分のした事は認める、これはフィリピン人ではなかなか居ないタイプ、しかし困った事に自分でした事がミスだと言う事は全く気が付いていない。

『ドラ、菊富士へ行くぞ!。』 トラモ通りはマカティに行く通り道である、オヤジの工場を見たがやはりもう閉まっていた。

菊富士の前で車を降り、店に入る、この時間帯にはカウンターの中に居無いはずの、"「こオのよオる」の前"のスットンキョウなかん高い『いらっしゃい!』の声にやっと人心地が戻って来た。

エッペの問題は一時忘れて、考えるのは明日にしよう。


13、私の頭はドラなみか??

かつて私の台所だった菊富士、クリックで写真拡大




一夜明けた次の日は2007年10月もそろそろ終わりと言う頃、丁度今から1年前の頃の事で有る。
その日は午後2時と3時にNAVYでティーチングの予約が入っている、午前中にエミさんの容態を見に行って、何も無ければトラモに行く予定でいた、トラモのオヤジに相談してから今後どう動くか考える積りだった。

丁度私がスペゴンに乗って、エミさんの入院先に向かっていた頃、ビリアモルの私のショップでスタッフ連中は大騒ぎをしていた。
エミさんの代わりにショップの金庫番をしているのは、エミさんの一番下の妹ブンソである、ブンソとは末っ子っと言う意味で男でも女でも末っ子は全部ブンソである、だからもし次の子供が生まれればブンソ名を譲らなければ成らない不安定な立場の呼び名である。

それとは対照的なのがパガナイ、男、女に限らず一番上は皆こう呼ぶ、ブンソと違ってパバナイは一生着いて回るっと思って安心していると、実はそうではない、これが時と場合によって外れる場合が有る、この時は大きな家庭騒動となる、旦那が今のパガナイの前にこさえたパガナイが居る事が判った時などで有る、フィリピンでは全然珍しい事ではない。

エミさんのブンソはもう23年間ズ〜とブンソだから年季が入ったブンソである、しかしたまにブンソが2人も3人も固まる時が有る、各家庭に一人ずつ居るブンソだからそんな事は珍しい事でも無いが、ブンソっと呼ぶと皆こちらを向く、特定のブンソを呼ぼうとしても、永年飛び方はブンソだけだから、名前がとっさに出てこないでマゴマゴする。

そして店番のブンソが私の携帯を鳴らしたのは、丁度エミさんと術後初めての会話をしている時だった。
『クヤ!、キャット・ドッグさんのドライバーが無いんだけれど、知りませんか?』 クヤはお兄さんの意、立場上どんなジジイであろうとクヤである、しかし立場が違うと、ジジイにジジイと言われてよく喧嘩に成る。
突然そう言われて、 『そりゃあ、そこにゃあネエだろうなあ、マニラ・ケンネルでも行って見たらどうだ?』 っと冗談を言っている時では無い、

昨日の夜、菊富士で飯を食ってからビリアモルでティーチングをしている時、名前など覚えては居ないが、一人のフィリピン人常連客が来てグリップの相談を持ちかけられたそれがキャット・ドッグさんだった様である。 私は丁度ティーチングに夢中だったため、『じゃあ取り替えましょう』っと言ったまでは覚えているが、その後ドライバーを見ていない所か、すっかり忘れていた。確か、テーラーメイドから出たばかりの新品のドライバー、グリップ交換依頼で私が預かった事はしっかり覚えている。

ブンソ曰く、キャット・ドッグさん(念の為に、仮名ですから・・・)からグリップ交換は終わったか?と言う電話が入ったと言うので、ショップ中を探したが何処にも無い、クヤが預かったのは知っているので、何処に有るか聞こうと思って電話した、っと言う事である。

途中で記憶がなく成っている私は、無くした記憶を探してみたが、何処にも見つからない、だからドライバーも頭の中では見つからない事をブンソに言うと、もう一度ショップの中を探してみると言って電話を切った。
この事はエミさんには言わなかった、手術して入院中に何か事が起きたと知ったらブンソを叱り付けるに決まっている。

私はもう一度無くした記憶を蘇らせようとしたが、預かったのは私である、キャット・ドッグ氏の手から受け取った感触まではハッキリ思い出せるが、その後ドライバーを何処に置いたかさえ覚えていない。
こりゃあ、メンドクサイ事に成ったなあ、もしかしたら外に置きっぱなしで帰ってしまい、誰かに持っていかれたかも知れない、何たってフィリピン!、とっさに思い着くのはこれである。

最悪は弁償すればお客だって納得してくれるから、収集が着かない訳ではない、25,000ペソ損失勘定が頭に浮かぶが、これは私のミス、ブンソもスタッフにも責任は無い、泣きっ面にハチ。
エミさんの昨日は痛くて眠れなかったっと術後の決まり文句を聞きながら、容態は間違いなく回復に向かっている、若いから直るのは早いだろう、もう心配は要らない事が確認できた私は、トラモ行きを急遽ビリアモルに切り替えた。

エミさんからトラモのオヤジの携帯番号を聞いて、スペゴンに戻った私は
『ドラ、ビリアモルだ』
『トラモじゃねエンですかい?』
『急用が出来た、ビリアモルが先だ!』

『何ですかい!又何んか有ったんスカ?こんだ誰がヘマしたんだろうねえ?・・・・、それとも旦那、自分でヘマしたんじゃねえんでしょうねえ?』
『ウッセエな!手前めえは黙って運転してろ!』
『なんだい、ズボシかい、よく問題を次から次と、全く・・・・』
『ッテヤンデイ!おいッ、ドラ公!お前めえだけにゃあ言われたかアねえな、その言葉ア』
『やだな、旦那、あっしゃあ心配ぺえしてるんですよ、色々有って旦那も可哀想な人だッ、ってね』
『お前めえに同情される様になったんじゃ、俺も終めえだな!』

ビリアモルに着いてショップに入ると、皆困った顔をして俺を迎えた、特にいつもは気の強いブンソも今日は今にも泣き出しそうである。
『よ〜しッ、解った!、もう皆んな心配ぺえすんな、俺が同じドライバーを買って、キャット・ドッグさんに謝るから』
『クヤ、ゴメンナサイ』ブンソは日本語でこう言った、
『お前めえの責任じゃねえよ、俺がうっかり忘れたらしいヤ、もう諦めよう』

そこへドラが入ってきた、『旦那、このクラブどうすんですかい?』持っていたのは紛れも無くキャット・ドッグ氏のテーラーメイド。
『なんだ?お前めえ?、何んでそれ持ってんだ?』
『やだねえ旦那、又始まっちゃたヨ!昨日の夜アッシに、"そこに有るクラブ持ってけ"って言ったじゃないスカあ、アッシが"これですかい?"って聞くと"んんん"っとか何とか言ったじゃねえですかい、全く年しゃ取りたくねえなア、所でどうすんですかい?こいつあ?』

思い出した、なくした記憶が全部戻って来た、間違いはこう言う事であった。
キャット・ドッグ氏から受け取った所までの記憶は有った、そしてその後は・・・・、そのドライバーをテーブルに立て掛けた、ショップの閉店時刻は夜9時、もう直ぐ閉店の時刻、グリップ交換は明日だな、っと思い、ドラに私は確かに言った
『そのクラブ向こうへ持ってけ』っと、しかしドラは車に持っていく物だと勘違いした、っと言うよりドラに言った私が間違い。

ショップの誰かに言えば間違いなくショップの中に入れるが、丁度その時側にいたのはドラだけ、だからドラがクラブを車に持って行ったのを誰も見ていなかった。
私もドラが車に・・・、など考えても居なかったので、クラブの事はドラには聞きもしないし車のトランクも見なかった。

今度は何も無くて済んだが、チョットした油断やミスが取り返しのつかない事に成りかねない、人間が、イヤ私がいっぺんに出来る事には限度が有る事を私自身が解っていない。

自分の頭の構造は、実はドラとあまり代わらない事を今更ながら身を持って体験した。

続く・・・・。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障、          フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を
その故障発見から修理完了までの長い道のりは、          全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った
常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと           一大悲喜劇 『エッペのケツ』騒動記 新連載開始しました。
戦い続けなければならない長く苦しいものでした。
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
111
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介
自己紹介