連載手記『エッペのケツ』騒動記一
第一章 エ〜エ!ウッソだ〜!!フィリピン自動車保険会社の醜態
その1 エッペのケツ その2 エッペのケツ落ちは、よく有る事?


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その1 エッペのケツ

つい最近(2008/sep)やっと解決した問題がある、そもそもこの問題、っというよりこれはもう立派な事件だが、発生したのは1年も前の事である、フィリピンでの生活の中で問題が起きていない時などほとんどないに等しいが、こう一つの問題が長く続くと、嫌気(いやけ)が差して来てほっぽり出したくなる。

事件は、っと言ってもまだこの時点では事件になるとは思ってもいなかった、1年ほど前のとある昼下がり、私がゴルフのレッスンに出掛ける時の運転手、通称(つうしょう)ドラとの会話から始まる、レッスンと言っても私は受けるのではなく、教える方である、私の一番大切にしている仕事でもある。

その時いた運転手はビサヤ生まれの江戸っ子であるがチャキチャキのフィリピン人、かなり怠け者だが、ずるい事だけはしないのと威勢(いせい)がいいのを取得(とりえ)にしてやらないと、取る所が無く成ってしまう、前歯が2本以上は抜けている奴だ、気持が悪いので口の中まで見た事はないが、もしかしたら3〜4本無いかも知れない、話が聞き取れない時がしょっちゅう有るが、どうせ大した話をしている訳が無いので、行き先だけを注意していれば後は生返事をして聞き流している、しかし江戸っ子である証拠に江戸弁が達者(たっしゃ)だ(ッな訳ねえだろう!)。

以前いた運転手は今いる運転手に環(わ)を三重掛けた正真正銘(しょうしんしょうめい)のノロマだが、今のはウスノロ程度に収まっている、年は35才だと言っているがシワクチャ、背丈155Cm、痩(や)せぎすで貧相(ひんそう)な容姿はどう贔屓目(ひいきめ)に見ても45才以下には見えない、日に当ると髪が赤く見える、キット若布(わかめ)の味噌汁を飲まない性だ。良く聞き取れないタガログも、聞き返すのも面ドイからこんな事を言ってんだろうと想像して書いている。

私の職業はプロゴルファー、と言ったって現役から遠ざかって3年、今では"昔取った杵柄(きねづか)"だけを頼りにプロと名乗ってるに過ぎない、しかしこの肩書きを名乗る意外に何も無い、本当の自分はいったい何者で、何の為に生きているのか、を忘れる時が有る、元々存在感の薄い人間である、確認の意味を込めて機会有る毎にこう公言する事で、やっと自分を見失わずに生きている。

 運命のその日、今借りている所は敷地は260坪と広いがそのど真ん中に家が建っていて最低の利用効率、建物はかなりの築年数を経過している、部屋は2階に3つ、下に3つ、デカイ車庫と40坪の家、その周りを取り囲むように、残りの220坪が庭に成っている、妙(みょう)に使い勝っての悪い建て方をしたもんだと感心さえする。

庭には7〜8本のやしの木が有り、たまに登って採って来るサルの様な人間(イヤ!待てよ、もしかしたら人間の様なサル!!)もたまに遊びに来る、遊びに来るって言っても本当は飯を食いに来るので、そのお礼にやしの実を採って帰るのである、しかし3回に一度は採ったやしの実まで持って帰ってしまう、今度来たら文句言ってやろうと思うのだが、今度来た時にはこっちが忘れている。本来の駐車場に車は入れない、邪魔(じゃま)には成らないからいつも庭に放り出して置く、その車に近付いた私。

 『おい!ウスノロドラ、この車、ケツが少し低く成ってねえか?』
 『そんな事ネーです!!』
 『そんな事ネーです!!って、まだ見てねえじゃネーか、おい!よく見てから言えよ!、・・・・・ほら!こっち来てチャン と見ろ ってんだヨ!』
 『ヘイヘイ、ちょっと待っておくんなさいよ・・・・どれどれ!こうして、よ〜く・・・見ましたがネ、低くネーです!』
 『むむ・・・、そうかあ〜?俺には低いように見えるがナ〜・・・?』
 『ケチ旦那!、冗談言っちゃいけませんヤ、ネッ!まんち、まんちチャ〜ント点検しておりやす、一ンチ(一日)だって怠けた事などありゃせん、それともなんですかい?あっしの仕事にケチを付けようってんですかい?エッ!ドケチ旦那!』
 『何んでえ、ヤケに突っかかンね〜、おめえの性だ何んて言ってる訳じゃねエから心配えすんな、ましてやおめえの仕 事にケチ付けたって一文の徳にもならねえや、ただなんとなくいつもよりケツが下がっている様に見えただけだ』
 『そりゃ〜、ケチ旦那の気の性、頭の性、年の性ってやつでサー』
 『そうかも知んねえな、でも・・・・???』

その時はそのまま車に乗って仕事場(NAVYゴルフクラブ)に向かった、その途中も気になってはいたが、乗り心地も以前と変わらず良くないし、音も特別変わった音はしていない様である。 思い起こせばこの時を境(さかい)に、このイマイマシイ問題は延々(えんえん)と一年もの間私の頭にしがみ付いていただけじゃ済まなくて、その間に大枚な金子までどぶに捨てるが如く毟(けず)り取って行ったのである。

私の車はエクスペディションってやつだ、ある時までこんな車の名前も知らなければ、ましてこんな車が有る事さえ知らなかった、全く私には縁のない車のはずだったが、3年ほど前何かの間違えでその時ちょうど食い潰(つぶ)していた何とか宗の坊さんの私のゴルフの生徒が、(分かり辛い説明だ、一回じゃ解んねな、こりゃ!)『なんとか買ってくれ!』ってんで買った。

40半ばのズングリムックリ、身長160cmで80kgは有りそう、眉毛え(まゆげ)の濃い鼻の大きい顔は、それでも体型とは良くマッチしている、時々頭を剃り忘れて何とも珍妙(ちんみょう)な見てくれとなる、この坊さんが私に拝む、むむむ・・・坊主が俺を?・・・アレ?逆じゃねえか!。

特に欲しかった訳じゃないが、坊さんが困っているのを黙って見過ごしたんじゃ、近い将来行く事に成っている地獄にも行けやしねえ『地獄に仏』は居ると昔から決まってる、っと思い買った、買ったら生き地獄(大袈裟)の苦しみだ、あの坊さんは仏じゃなかった、ただの食い詰め坊主だった、袈裟(けさ)が憎(にく)けりゃ坊主まで憎くなるのが良く解った。

長い車の名前は皆縮(ちぢ)めて呼んでいる、スカG、ヨタG、セド、とかである、このエクスペディションは縮めて何てんだろ?、エクペ、か?何んかしまらネエな〜、どうでも良いけど書くのも面ドイからエッペにしよう。 エッペは米国人が作った駄作車(ださくしゃ)である、リアシートは構造上はフル・リクライニング・シートと立派な名前が付いちゃいるが、こいつあ唯(ただ)のコケオドシ、前にはいくらでも倒れるが、後ろには倒れない。

きっと後部座席の人は寝られない様にしてあるのだろうと思っていたら、実は違う、エッペはフィリピンの大統領の愛用車でも有る事から、一時は金持ちのシンボルでも有った、自分で運転する車ではない、なのに後部座席の乗り心地は極めて悪い。

なぜシートが後ろに倒れないかというと、私もそれが解った時は驚(おどろ)くより笑っちゃったが、リヤのタイヤハウスに椅子がひっかっかて倒れないのである(写真参考)。これを聞いた人は『そんなの嘘(うそ)だろう!!』っと言うか、思うのが極自然、500万円以上もする車が、子供の工作より劣るのだから。

しかし事実である、設計ミスか馬か鹿が設計したか、又は誰かの運転手を長くやっていて、後ろに乗っている奴をとことんと妬(うら)んでいる奴の設計かのどれかであろうが、タイヤハウスの当たるほんの10cmほどシートの下をカットすれば、フル・リクライニング・シートは復活するのに・・・。 エッペに乗っていて眠くなった時にはいつも、米国人のノータリン加減を恨(うら)みつつ、しかたがないが窮屈(きゅうくつ)な格好で寝ている。

もう一台車が有る、三菱のスペース・ワゴン(スペゴンと私は呼んでいる、そうッ!何と呼ぼうと、例え神さんを『化け物』と呼ぼうと私の勝手!!でも他人には呼ばれたくない)、これはトンドのスモーキーマウンテンで拾って来たやつで御年10数歳、老骨に鞭(むち)入れて走らせている、しかしこれは名だけではなく立派なフル・リクライニング・シート私の長い脚(写真参考)でも伸ばしたって邪魔(じゃま)になるものが何にもないほどのびのび出来る、これは我が日本人が設計したやつ。

仕事場に着いてエッペのケツを見ると・・・・、やはり私の気の性だった様で、もしかしたらドラが言う通り、他の性かも知れないが、その時は全く異常はない様だった。





その2 エッペのケツ落ちは、よく有る事?


 初めてドラとエッペのケツが落ちてる事を話してから何日かイヤ2〜3週間か?過ぎた日の朝の、やっぱりドラとの会話。 『おいッ、ドラ!早く来て見ろ、てえへんだ!エッペのケツが落っこってる!メイッペエだ!』 これはもう気の性でも頭の性でも、増してや年の性なんかじゃない、車体が ドスンっと落ちて、タイヤがタイヤハウスにくっ付きそうである。

『こらアひでえな〜、いったい何をしたんすか?ドケチ旦那?』
『ってやんでい、俺がやった訳じゃねえや!・・・所で、おめえ、俺を呼ぶ時いつも何んてッてる?もいっぺん言ってみな』
『旦那様』
『嘘(うそ)言え〜!何んか違って聞こえるぞ・・・、それよりどう成ってんだ、こいつあ?』
まるでリアのサスペンションがなくなった様な状態である、その時初めてエッペのリア・サスがエア・サスだと言う事が解った、って読んでる人は解ったかな〜???まあ、イッカ。

昨日まではこんなじゃなかった、しかし幾日か前から様子がおかしかったのはやっぱり気の性じゃなかった。 ここんとこが重要だ、昨日帰ってきたのは夜10時頃、その時エッペのケツは何でもなかった、以前も出掛ける時はヤッパリ異常を感じていたが、何度も言うと私の頭が本当は異常である事を気付かれるので、遠慮(えんりょ)して黙っていた。

『だから言ったじゃねえか!エッペのケツが落っこッてるって!おめえが気の性だって言うからこんな事になったんだ!』
『冗談言っちゃいけやせんヤ!、ドケチ旦那、アッシあ気の性だとは言っちゃおりあせん、気の性か頭の性か年の性だ、っと言ったんでゲス!!、しかも自分でヤッパ気の性かって言ってたじゃねえッすか、ッッッてんだ!』
『兎に角どうすんだ!たちまちア!、今日はスペゴンはつかえねえぞ、コーディングだから』
『一寸待て下せえよ』

奴さん電話で誰かと話しだしたが、よく聞き取れない、前歯が無い性ではなくビサヤ語だから解らない、いや、例えタガログで話していたとしても、前歯が無いからやっぱり解らないかも知れない、電話の相手によく話が通じる等と今は感心している場合じゃない!!。フィリピンでは曜日によって車の使用を禁止させられている、別に車がボッコだから休ませているわけじゃあない、道路事情が酷く、慢性的で絶望的な渋滞がフィリピン国中で毎日繰り返される、その為全車両の10分の2、20% の車を走らせない対策を取った、月曜日がプレート・ナンバー末尾が1と2、火曜日が3と4・・・・、そして土曜日曜、祭日は規制解除っとした、この法律は今ではマカティ市内だけだが、金が掛からないので政府はどんどん広める積りらしい。

タクシーで行くっきゃねえか、っと諦(あきら)めかけていた時、ドライバーの運転手野郎のドラが急にエッペのエンジンを掛けやがった。 『何やってんだよ!おめえ!こんな車乗れねえだろうガッ!』
『そんな事ヨッカ、エッペのケツ見てて下せえ』
なッなんとケツが少しずつ上がり始めたじゃねえか、又気の性か、っと思っていると5分は掛かっただろうがエッペのケツが元に戻った!こいつア驚(おどろ)きだ。

『ダチに聞いたんでさあ、ヤッパ、エッペのドライバーなんすがね、言っときますが、そこのご主人様はドケチじゃねえですよ、ネ〜ご主人様!聞いてんスカあ?。しゃんねえな、肝心(かんじん)な時に時々つんぼになりやがる。』
『そんでえ、・・・何て言ってたんだ?そのドライバーは』
『なんだ、聞いてなかったんスカ?あっしの話?、だからね〜、あっしのダチ公のご主人様はネ!ドケチじゃねえって言ってたんスヨ、ドケチじゃねえって!』
『そんな事聞いちゃねえよ!車の事だよ、エッペの事!』
『なんでえ、そんな事か、だから有るんだって、エッペにはこんな事が、どっかエアーが漏(も)れてるか、エア・サスのバケットがいかれちまったかですって』
『じゃあ修理に出さなきゃならねなえな』
『でもね、エンジン駆(か)けりゃ又ケツあ持ち上がるから、そんなに心配しなくてもでえ丈夫だそうですぜ、奴の言うにゃあ、そのまま1ヶ月も走ってたって言ってましたよ、だから気にしねえでこのまま行けるトコまで行きましょうヤ、どうせアッシの車じゃねえし』

確かに今はエッペのケツは元通りに成っている、走り出しても何でもない、その日3人レッスンして3時間後に戻って来たがエッペノケツは下がっちゃいない。 しかしヤッパリ修理には出さい訳には行かないが、いったいどこが良いだろう、フォードの修理工場は何箇所かある、以前車をぶつけられて保険屋の指定で入れたアラバンのフォードは酷(ひど)かった。

それはこの事件の1年位前の話である、その事件の起きた日、私がビリアモルのゴルフショップに行ったのが夕方の3時頃、昼間はネービーでティーチングをしているが、夜のティーチングはビリアモルと決めてある、6時半から3人予約が入っているがまだ時間はある、クラブハウスのレストランで飯を食って、ビールを1本飲んだら気持良くなって昼寝をした、これはその間におきた事である。

6時半の生徒が来た時『先生の車どうしたんですか?右側が前から後ろまでガサガサのグチャグチャですね。』
『そんな事たあねエでしょ?何かの見ま違げいだ、同じ色の車は他にも有るからネ』
『だって先生の車のナンバーは****でしょう?赤い色のエッペ』
『そうですよ、・・・・と言う事は俺の車がガサガサのグチャグチャ・・・。一寸ごめんなさいよ!!』
っと車の所へと飛び出した。

続く・・・。

約1年間にも渡り、私を悩み続けさせた車の故障,その故障発見から修理完了までの長い道のりは 常に付きまとうフィリピンならではの大ジレンマと戦い続けなければならない過酷で長く実に苦しいものでした。

フィリピン自動車修理工場のダマシやズルの実態を全てさらけ出した貴重な実体験記録、涙と笑いで綴った 一大悲喜劇。
                
                 『エッペのケツ』騒動記 

             ついに、!!新連載開始しました。