ある朝の魚河岸合戦記

一寸前なら飯を食うのには日本食堂利用率95%の俺が、ある日を境にしてその利用率が2%まで一挙に下がった。計算した訳じゃあないが、まぁ、ザットそんなもんだ。

一番の理由は飯の時間が取れなくなった事、店は朝9時から夜9時まで、店を閉めて大急ぎでマカティーの行き付けの店『菊富士』へ事故すれすれのスピードでブッ飛ばして行って、片付けの始まっている厨房にいる店長の『カルボ』に、さも『常連なんだ俺ァ!だから遅く来たっていいんだ!文句アッカ!!』ってな顔だけして、内気な内心は気兼ねしながら飯をかっ込めば何とか夕飯に有り付ける。

しかし、レッスンの最終は8時半、終わりが規定通りなら9時半、これではジェット機で行かないと間に合わない、幸い直ぐ近くに飛行場は有る、自家用ジェットを用意するのはた易い事だが、出来た所で、『菊富士』には駐機場がない。 これではせっかくジェットを買っても無用の長物になってしまうので、買うのはやめた。

時間が遅くなって飯に有り付けそうに無い時は、バクラーランのセブンイレブンかなんかに行って、全く水分が飛んでしまった乾パンと化した食パンらしきものを買って食ったり、鳥の丸焼きを一羽買って来てむしゃぶりついたり、どうし様も無い時は、煮えるのが待ち切れず、火から早く下ろした固いインスタントラーメンを自分で作って、涙ながらに食った。

そんな見るも無残は生活をしていた時、素晴らしいアイデアを出してくれた頭の冴えた友人と出会った(今は兎も角、その時は見境い無くそう思った)、多分世の中で彼ほどの天才はいないであろうとその時の俺には思われた。何たっていつも腹が減っていて歩くのにもクラブを転ばぬ先

の杖にしてた程である。地獄に仏とはこんな時に使う言葉だと気が付いた(後で判った事だが地獄にはウワバミも居る)。彼のアイデアは今まで俺の頭に浮かんだ事も無い『自宅でチャンとした飯を食う』事だった。

天才の名前はTOSHIと言って通称『ウワバミ』とフィリピンでは有る方面名前の通った男である。
『天才ウワバミ』氏はフィリピンでの渡世術にはそん所そこらのフィリピン人なんかよりよっぽど長けていた。

彼の出現により俺の生活習慣は全く変えられてしまった、食材は元より、味噌醤油まで全て現地で、自ら調達するように仕込まれた。
フィリピンでの一人暮らしが途轍もなく長い『天才ウワバミ』氏は魚市場からヤッチャ場、果ては屠殺場

まで知っているだけでなく連れて行かれた、今では俺もその筋じゃあ免許皆伝を貰っている。っと言う事で何とか腹の中はまかなう事が出来ている。

今日は仕入れの日、運転手と、居候の一人を連れて朝5時に家を出る、外はまだ真っ暗なのにメインストリートに出るとバスで大混雑、フィリピンは鉄道が無い訳ではない、しかし鉄道網と言うものは無く鉄道糸と言われるものが有る。その為長距離バスが田舎へ帰る最大の武器で有る、今日も朝早くから客を待つマナーのかけらも無いバスどもがメインストリートのど真ん中で停車している、その数ザット100台。

前が詰まっていようが、赤であろうが交差点に突っ込んで来る。フィリピンで行儀の良い運転をして、皆の見本に成

ろうと思ったなら、まず車の後部座席を寝台車に改造する必要がある、今日中に目的地に着ける保証が無いからである。 クラクションを鳴らしっぱなしで、窓を開け怒鳴り飛ばしながら、そこを何とかすり抜ける、格闘技だ、負けて成るものか!!。

有料道路を5分も走れば目的地の魚河岸に着く。ここではもうカオの店も幾つか出来た、最初は酷いものを掴まされたけれど、今はそんな事も無い、が、たまには有る、魚の良し悪しの見方を自分なりに勉強した、そんなナァ当たり前エだ!!魚食うためにいつも割り食っていちゃあ合わねエや!、そこは店と客の騙し合いの戦場でもある、俺みたいな日本人をテグスネ引いて待っている。

市場で仕入れるのにはコツがある、魚が新鮮かどう


か判ることだけじゃあ駄目!、 兎に角まず市場を一回りする、毎日上がる魚は違う、その日多く上がっている魚は勿論安く新鮮である、っと思ったら奴らの思う壺にはめられる、中にゃァその中へ3日前の魚をこっそり忍び込ませて売っている奴ァ五万と居る、油断大敵だ。

しかし新鮮な魚なら何でも良い訳では無い、旨い魚も有れば、不味くて食えない、今までどうやって生きて来た魚なのか興味が湧くような魚も有る、こればっかりゃ食ってみなくちゃぁ判らねぇ、フィリピン人が旨いなんて言ったって絶対信用しちゃァいけない、あいつらの舌は、味わう為に有る舌じゃァない、唯しゃべる為にだけくっ付いている舌の格好をした拡声器だ。ここはフィリピン、日本では見かけないフィリピン魚が顔を利かしているのは仕方ネエか。

有る一時期、物は試し、っと目に付く魚を手当たり次第に買い込んで来た事が有る、それを全て塩焼きにして食った、一世一代の決死隊覚悟で挑んだ、勿論運転手には直ぐに病院へ行く段取りを付けるのを忘れやしない、この辺がフィリピン30年の年期が物を言う所だ。

中には匂いだけで口に入らなかったのもあった、見てくれが余りにも酷く箸を付ける気にも成らない魚を、目をつぶって口に入れた時、その美味と魚の姿とのギャップに驚いて、こんな経験魚のほかにもした事が有る様な錯覚を起こさせる魚もあったり、何とも不思議な体験をした、それから殆どの魚が判るように成った。

さて今日の仕入れは、ヒラアジ(タラキート)2k


(P400)、するめいか(プシット)3k(P420)、ハタ科の魚(ラプラプ)小さ目5k(P550)サワラ(タニギ)3k(P450)、赤貝(リトム、から付き)2k(P100)、あさり(ハラアング)1k(P30)、海ブドウ1k(P30)、鶏肉(マノック)3k(P360)、豚肉(バボイ)3k(P390) 合計 P2,730 日本円¥10,000が今日現在約P4,000ペソ。

約1時間魚河岸にいてその足でヤッチャ場へ行こうと思っていたが、余りにも道路が渋滞していたのでそのまま帰って来てしまった、野菜その他は又近い内に行くつもり、今日の仕入れ、日本だったらいったい幾ら位掛かるだろう?これも戦場だからこその利だ!。

とうとう『日記』書き込み新記録達成だ、やってみりゃあ大したこたァ無い。しかし書く事に苦労はしないが写真を撮って記録を残すって事はメンドイもんだ、お陰でパソコンの練習にはなる。いつまで続くか本当に判らないが、元々ものぐさな俺だ、なんかの理由で書けない時が必ず出て来る、その時は休めばいいんだ!!