ジャンのその後
ジャンとの出会い
私は少し前一人のフィリピン人プロを育てたことが有る、
しかし残念な事に育て上げる迄は行かなかった、
これは大いに反省している、行く々々は日本で勝てる
選手に成るのではないか迄思った程の男である。

彼の名前はジャン、05/11/18で25才に成るジャンは
本名Johnrey Pactolerin(ジャンレイ パクトレリン)
と言いBacolod(バコロッド)出身、私のショップ専属プロNonoy、
本名Ronald Pactolerin(ロナルド パクトレリン)の甥である、
甥といっても年の差は10才そこそこ、ジャンはノノイの長兄の
子でノノイは末っ子、年が近く殆ど兄弟同然。

ジャンは今ツアーリングプロのコリファイン(正確には
Qualifying Tournament クウォリファイング トーナメント)
に挑戦中で今日が最終日、1オーバーで回れば合格。
いつもならアンダーで回って当たり前のコースだが
何せプロテスト、私の経験上からもそのプレシャーは
凄まじいものが有る、初めての挑戦で合格する確率は
数%に過ぎない、その証拠に今回で10回目と言う挑戦者が
2人もいる。

4年前のまだ彼が20才の頃プロの卵と成るティーチングプロ
に合格したもののジャンはその後自分のゴルフに見切りを
つけて田舎に帰っていた、それをノノイが最近に成って連れ
戻して来たのだと言う、田舎では食べられないのである。

彼がVillamorに来た当時それは今年の8月頃の事、見慣れ
ない顔がいるなとは思っていた、彼の身なりは汚くいつも同じ
シャツ、半ズボンにゴムサンダルを突っかけてDrivingrange 
の1番はじに隠れるようにただ座っていた、私のショップから
はそう遠くないので顔もよく見えたが、その当時は何かいつも
オドオドしている様な感じだった、何をするとも無く毎日ぶら
ぶらとその辺に居る。

たまたま遠めに彼のスウィングを見る機会が有った、どんな
打ち方をするのだろうと思って見ていた私は唖然とした、よく
プロの卵に成れたものだと思った程それはプロのスウィング
には程遠いもので有ったが、ただ良く飛ぶ、飛ぶには飛ぶが
玉はどこへ行くかわからない。

よく飛ぶ訳は直ぐ解った彼は体格こそ小さい(といってもフィリ
ピン人の中では大きい方である)が素晴らしいばねを持って
いた、無駄の無い筋肉、背筋の発達、手首の強さ、容姿は
井沢利光に良く似ている、身長は175Cm位でガッシリがたの
着やせタイプ、しかしこれがなかなかの男前である。
チャンとしたスウィングを覚えたら素晴らしく成るだろうとは
その時思った。

或る日ノノイが私にジャンの面倒を見てくれないかと頼んで
来たので了解した、ノノイは最初からそのつもりでジャンを
田舎から連れてきたのであろう、ショップを手伝い始めたのは
3ヶ月前の8月半ば頃の事で有った。
ジャンがショップを手伝い始めて間もない頃、私がジャンに「お前の
スウィングはメチャクチャでプロのスウィングからは程遠い」っと言う
と彼はどこが悪いか教えて欲しいと素直に頼んできた、少し教えて
みようかと考えレッスンをすると最初は実に真剣に取り組む。

とは言えすぐに直るほど素直なスウィングではない、本気で
スウィング改造に取り組んでも半年は掛かると私は見た。
ある日試しにコースへ連れて行った、N氏が是非連れて行きたいと
言うし、私もジャンがどんなゴルフをするかも見て見たかった。

フィリピンでも難易度では高度のサンタエレナのフルバックティーに
挑戦させた、コースレート75以上のこのコースにしかも初めて挑戦
するジャンにはとても無理だとは思っていた。
結果は私が78ジャンは86と惨憺たる状態であったが、相変わらず
飛距離とパッティングのフィーリングは良いものを持っていた。

その後、
もしかしたら光るかもしれない、の気持ちから真剣に教えたがなか
なか以前の悪い癖が取れない、1日1000発を毎日打たせた、私
も時間が有る限り彼にくっ付いて教えた。
その頃に成って今年のツアープロへのコリファインにジャンを挑戦させ
て見ようと考えていた、初挑戦で受かるのは難しいかもしれないが
良い経験にはなる事は間違いないと思った。

それに今回の会場はジャンのホームコースvillamorである、チャンス
はない訳ではない。
少々ものぐさのジャンを突き放しては呼び戻し又突き放す、これを
幾度か繰り返している内に何とかプロのスウィングに近いものに成
って来た、ジャンもコリファインの目標が出来たので張り切っている。

玉の飛び方も様に成って来た頃N氏が再び渡比して来た。
以前サンタエレナをジャンと回った後非常に興味を持ったN氏はもう
1度どこかで一緒に回りたいと言う、N氏は私の友人で元日大の
ゴルフ部、今年3月までゴルフ練習場も経営していてその業界には
かなり詳しい人である。

丁度3ヶ月前彼はジャンの最初の頃を見ている、彼は今のジャンの
スウィングを見て3ヶ月間での彼の上達振りに目を見張った、それ程
ジャンのスウィングは進歩していたので有る、ジャンのプロテスト挑戦
まで後1週間と言う時の事である・
ラスト3ホール奇跡は起こるか?
ジャンは有頂天である、彼の永年の夢が現実として叶ったのである。
田舎から食うや食わず、着の身着のままで出て来て6ヶ月足らずで一人
前の列記としたプロフェッショナルゴルファーである。

しかも最初のトーナメントで名を上げた、今彼は最高の気分、今までの
人生の中で最高の幸せを感じている時である。
ただ彼にとって不幸な事はそれ以上の夢を持ち切れ無かった事である。
大手を振ってドライヴィングレンジの中を闊歩しているジャンを見て大丈夫
だろうか?と私は疑問を持たずにいられなかった。

彼は今やっと出発点に着いたに過ぎない、これから本当の難関JPGAの
コリファインが待っている、しかしこれとても又出発点に過ぎない、トーナ
メント本線に出て優勝する夢を本当にジャンは持てるのであろうか?。

だんだんとお客から声が掛かるのが多くなって行くのと反比例して練習に
身が入ら無く成っていった。
このままでは駄目に成る事を勿論ジャンは解らない、何度と無く話したが
うわの空で今後を考えている様子が無い、日本ではスポンサー探しもして
いる、だが私としてはこのままジャンを日本に行かせる訳には行かない、
まだまだ勉強不足である、今のままの実力ではJPGAのコリファイン通過
などそれこそ夢のまた夢。

しかし日本からはいつ来るかの催促、スポンサーもダイワが引き受けて
くれそうである、私は彼の向上心と自立心がどれだけあるかテストをして
見た。
後に成って自分の行動は正しかったかどうか自問自答した私のとった態度
とは、彼を突き放したのである、進んで自分から練習をするまでティーチン
グ一切を止めた、彼からお願いしますの言葉が無い限りティーチングは
しないと決めた。

ジャンはとうとう教えて下さいとは言って来なかった、そればかりか女まで
作った、当時彼は既に3人の子持ちであった。その事が私の心をより一層
固くした、ジャンは私の態度に耐え切れなく成って自分から私の元を去っ
たのは今年、2005年の8月の事である。

今2006年1月、ジャンは現在でも私のショップの有るヴィリアモルゴルフ
クラブにいる、私は今でもジャンは素晴らしいプロに成れると思ってはいる
が、私のつまらない意地とプライドがジャンを受け入れる事に強烈な拒否
反応を示している。

このままジャンを埋もれたままにして置くのは何とも惜しい、誰か早く良い
スポンサーが現れて日の目を見せて上げて欲しいものである、
そして今度こそ死ぬ気に成って、
一流プレイヤーの道を目指して欲しいと心の底から願ってやまない。

記 2006年6月。
結論から言うと私はジャンを諦めた。

その後トーナメントプロとなったジャンは初めてのトーナメント
(プロアマトーナメント)で優勝、個人でも3位と初陣を飾った。
無名のプロが一躍有名」プロに変身である、しかしその後ジャン
が衰退していくとはその当事ジャン本人を含め誰しもが考えられ
無かったであろう。

1日中晴れ
今日アギナルドでのプロアマトーナメント、1日だけであるが
ジャンに取ってはプロデビュー戦である、彼のパートナーは
一番仲の良いティーボーイのジョエル、彼も私の弟子では
無いが今少しずつスウィングを教えている、私のパートナー
はRとH氏。

実はR氏はこのアギナルドで以前プロテストを受けてツアープロ
の資格を得ている、と言ってもジャンの受けたプロテストとは全く
違うイリーガルで二日間の形だけのトーナメント、スコアーも不正
をしてお金で買ったライセンスだからプロとしての登録も正式には
無いかも知れない、彼は今回出来るはずの無いアマチュアとして
出場し何のクレームも付かない。

我々のパーティーは入賞など初めから無理でお遊びに過ぎないが、
ジャンのパーティーは優勝を狙っての出場である、偶然私のパー
ティーとジャンのパーティーは一緒に回る事と成った。
私は自分のプレー所ではない、トーナメント初出場のジャンがどんな
プレーをするかが心配である。

結果を言うと彼個人はプロの中で3位タイ、プロアマティーム戦は
ジャンの組が優勝と堂々の成績、これにはプロ連中皆びっくりして
いた。
何せ数日前プロテストに受かったばかりの新人が3位タイでしかも
ティーム優勝である、これでプロテスト合格がフロックで無い事を
ジャン自ら証明した、が、ジャンのプレー振りにはとても満足の行く
ものではなかった。

スコアーはパープレーだが5バーディー5ボギーと相変わらずボギー
が多いプレーで9番と16番では約50センチのパーパットを外す馬鹿
たれのボギーである。

アイアンの切れは素晴らしい、ドライバーもしっかり距離も出ていて
悪くない、ヘタクソなのはアプローチ、グリーンエッジからピン迄が近く
打ち上げの10〜15Yの距離を残したのが3ホール、これを全てパー
セブできないでボギーにした。

グリーンまで少し距離があったり、グリーンまでの登りが少ない時には
なかなか上手いアプローチをする、コリファインの時は条件に恵まれてい
たが、ここのコースは殆どのホールが砲台になっている。

フワっと浮かせてグリーンに乗せて止める技を知らない為全て砲台
グリーンの下から9アイアンでころがし上げている、これでは距離感
が全くでない、コースでのプレー経験の殆ど無いジャンには無理な
注文であるがこれから教えていく積りである。

アイアンで気が付いた事は5番までは自信を持っている様だが4番
以上のアイアンはまだぎこちない、全体的にはフルショットの時まだ
アウトサイドインの軌道に成ってしまう。

今回のトーナメントで1番あきれ驚いたのは3位のジャンが手にした
賞金はアマチュアのエントリーフィー1人分と同じたったの2500ペソ、
日本円では5000円程で有った、これでプロのトーナメントとは余りに
もひど過ぎて何も言う事が出来ない。
最終ラウンドバックナイン
アイアンはキレが出て来たが・・・
いよいよコリファイン挑戦
ジャンとの決別
もしかしたら光るかも知れない
一昨日ジャンを連れてK氏、H氏と共にラウンドして来たばかりである、
その時ジャンには今度こそ私より良いスコアーで回る事、もし悪い場合
はコリファインに出場させない、と言ってプレッシャーを掛けてある、
普通の状態では私がジャンに勝つ確立は30%位、殆ど勝てるはずは
無いのだが、ラウンドの数やプレシャーの経験が少ないため、今まで
にジャンは1度も私に勝ったことが無い。

久しぶりにコースへ出た、
VALLEY GOLF & CONTRY CLUB はマカティから30〜40分の位置
ANTIPOLO CITYに有るが市内を通る為時間帯によっては2時間も掛
かる。
今までの私とラウンドした時のジャンは、サンタ エレナでは86
 villiamor でも9ホールを、11オーバー、7オーバーとめちゃくちゃ
だった。

案の定プレッシャーの掛かったジャンは前半6オーバーの42、私は
この所やっと調子が戻って来てそれでもパットが納得の行かない
パープレイ、と言っても初めてのコースでUP DOWNがきついためピン
までの距離が掴めない、グリーンも解らない上の事で納得の行くスコ
アーである。

びっくりしたのはジャンのドライバーの飛距離である、ゆうに300Yを
キャリーで超えて行く、私とのセカンドの差は100yも有る時がしばしば
これには3人とも驚いた。
あるホールでこんな事が有った。
350Yパー4のミドルホール、グリーン手前が池で、池の手前まで270y
池を越えるには300y以上のキャリーが必要である、

私たちは勿論ドライバーを持つが、ジャンもドライバーを持って池を
キャリーで越えグリーンまで10yの位置迄運ぶ、この時は皆呆れて
物もいえなかった。
結局その日は私がトータル1オーバー、ジャンは後半がんばって3つ
ちじめたが3オーバー、IK氏、IS氏のスコアーは名誉のため発表しない

ジャンレイは帰ってきた後に一人でVilliamor9ホール私抜きで回ったが
3オーバーだった、そうとう落ち込んでいるが、実は彼のスウィングが
大きく狂っているのである、かれにも言って有るが、直そうとする努力が
足りないので放ってある、その当時思った事は14日に有るツアーリング
プロテストはやはり挑戦だけに終わりそうだと言う事だった。

そんな時にN氏からの誘いである、
少し自信を失い掛けてるジャンを連れてK氏、H氏、N氏それに私の5人
でカンルーバン行った。
スコアーこそ悪かっジャンだが飛ばしは健在でN氏を満足させた。
3人とも口を揃えて、私が一緒だと「プレッシャーがかなり強く、まともな
ショットが打てない、何をしているのかさえ解らない」と言う。
私にはその経験が無いがそう言う物なんだろうと考える。

ただジャンはこのカンルーバンで大きなものを掴んだ様である、本人曰く
今日後半になって左がスムーズに振り抜けたそうである、いつも左腕の
抜いて行く位置が一定に定まらないが、今日はそれがどうしてなのだか
が解ったと言う、いつも左肘をフォローで伸ばすように言われている意味
がやっと解ったようだ、そのせいか確かに後半のアイアンは切れていた、
グリーンを外したのは10番ホールの1度だけであった。

それからのコリファインまでのジャンはアイアンが見違えるように素晴らし
くなっていった、Drivingrangeでは彼が苦手としていた練習用の2アイアン
で250yを綺麗なドローで打てる様になった、6アイアンでは200y先の看板
から左右5ヤードと離れなくなった。問題はパットである、練習ではフォロー
が出るが本番ではどうしてもでない、自信のなさからで有る事は解っている
これさえ何とか直ればもしかするとコリファインも通過するのではないかと
思われる程ショットが安定してきた。
当日は素晴らしい天気になった。
コリファインには戦う相手がいない、自分のスコアーと戦う、コリファイン
条件は4日間で12オーバー以内、ツアープロに挑戦する彼等にとって
普段の12オーバーは目を瞑っても出せるスコアー、しかしコリファインの
場ではこれがとてつもない大きな壁として立塞がる。

天候が荒れればスコアーが悪くなるのが必至だが、こりファイン条件は変
わらない、過去にも天候が悪かった為にスコアーが伸びず涙を呑んだ挑
戦者も多くいる、4日間の天候が全て良いと言うのは難しい、故に毎年比
較的天候が安定しているこの頃にコリファインの日程を組む。

パッとの不安を解消できないまま当日を迎えたジャンは初日3オーバー
でスコアー的にはまあまあのスタートを切った、どんな大会でも初日は
不安なものである、良いスコアーを出すことに超した事はないがそれが
4日間続く保証などあるはずもない、心配していた3パットが2度出ての
75、何とか希望だけは繋いだがパットの調子は上がらないままである。

そして2日目そのパットがますます悪く、スコアーも最悪の7オーバー、
3パットも3回、14番ホールでは左にOBも出した最悪の日と成った。
これで後が無くなった、残り2日間を2オーバーで回らなければならない
がっかりして上がって来るジャンを待ち構えて練習グリーンに連れて行く

闘争心が無くなってしまったらもう終わり、結果は火を見るより明らかだ、
しかし戦いはまだ終ってはいないのである、今日の泣き言を言っている
より明日の為にどうするかが問題である。
トーナメント経験の少ないジャンは意気消沈、絶対はずすな50球連続
で入れなければやり直し、私は1mのパットを何百回となく打たせた。

パットは自信である、自信が付けばフォームも良く成る、フォームが良い
から入るのではない、最後は集中力と気力で無理やりでもフォローを出
す、この事に神経を集中させる位の事が必要、どうせ入らないのである
フォローを取ろうが取るまいが、どうせ入らないのならフォローをとれと
厳しく叱った。

大会3日目ジャンは1オーバーで上がって来て明日に望みを繋いだ、
3パットは1回有ったが昨日までのパットとは雲泥の差程好く成っている、
問題であったフォローが取れる様に成って来ている。

とうとう最終日。
正直ジャンがここまで頑張れるとは思っていなかった、今日まで3日間の
ジャンはアイアンとアプローチで持っている様なもの、ドライバーも精彩を
欠いている、萎縮してあの300yショットは影を潜めたままで全てフェアー
ウエーキープを優先して置きに行っている、自信を持っているアイアンで
勝負している様だ。

私がコースに着いたのは9時少し過ぎ、ジャンは6番の185yパー3の
ティショットを終わった所だった、今日1オーバー以内なら晴れてトーナ
メントプロの仲間入りである、ジャンに取っては思いも掛けなかった早期
のコリファイン挑戦、ここまで急成長するとは私を含め誰もが目を疑った。

ジャンのボールは奥のカラーを超えたラフに止まっていた、今日のピン
ポジションはティーから200yのバックピン、多分6番Iで打ったのであろう、
グリーンを少しオーバー、ホールまでは約15yライも良く全く問題のない
アプローチ、これならバーディーも狙えると思っていたら9番Iでのアプ
ローチが強かった、返しも入らずボギー、ここまで1バーディー2ボギーで
来てトータル1オーバー。

7番は350yの短いパー4だが250y付近左に有るバンカーから急に左に
ドッグレッグしていて左右は狭くフェアーウエーは左に傾いている。
300yショットでバンカー越えを成功すると後はやさしいアプローチが残る
だけだが、一寸左のにそれるとバンカーに被さる大きな高い木に吸い込
まれひどい状態となる。ジャンは3アイアンでバンカー手前に運びAWの
セカンドでピン横5mに付けパー。

しかしジャンのパットに問題を見つけた、又フォローが全く出ていない
打って終わりのパッティング、これでは距離感も方向も出ない最悪の
フォームである、多分プレッシャーが始まっているのであろう。

531yパー5の8番はティーショット、セカンドと置きに行ってグリーン手前
15y迄運んで来た、普通ならランが無くても3、4番アイアンでセカンドを打
つが、今日は完全に萎縮している感じで全く振れて無い、なんとセカンド
は3ウッドで有った。グリーンの右にはずした、何も難しくないアプローチを
それでもなんとか3mに寄せバーディーパットをねじ込んでイーブンパー
に戻した。

9番ホールは400ヤードのパー4、
フェアーウェーの左右に直径2m位の竹林が有りこの間を高いキャリー
ボールで超えなくてはいけないが250y付近から30y位の長いバンカーが
有りここに入れるとパーが難しい、いつものジャンはこのバンカーを大きく
越えてセカンドは殆ど70〜80Yのアプローチが残るのが常だが今日は
120y残しフェアーウェーのセンターに運んだ。

AWのセカンドショットはピン20センチに付けるスーパーショットで楽々の
バーディー、1アンダーと上々のフロント9で意気揚々で有る。
ジャンに取ってこれが良いのか悪いのか私には判断できなかった、もし私
だったらバック9の計算を必死にしている所だが、ジャンにはその計算が
出来るだけの経験が無い、しかしその方が1ホールに集中出来て良いかも
知れないとも思った。
フロント9で目標の1オーバーまで2つの貯金を持っていよいよ
勝負のバック9に入った。

しかし本当の勝負はラスト4ホールである、この4つのホールで
ジャンは今まで経験の無かった物凄いプレッシャーを経験する
はずだ。
その時点で貯金が1つでも有れば残り4ホールをプレッシャーを
持ちながらも余裕を持ったプレーが出来る、14番までの5ホー
ルをどの様に切り抜けるかが今大会の鍵と見た。

この時点で参加者20数名の内コリファイン圏内にいるのはとう
とうジャンたった一人と成っていた。

10番パー3を何とかパーで切り抜け次はジャン得意の11番504y
パー5、何としたことかティーショットを左に曲げ林の中のラフに
つかまる、フライヤーを使った経験の無さであろう240yのセカンド
に3ウッドを使いそれでもグリーン右のガードバンカーまで持って
来た、ライも良いしピン迄の距離も15yと全く問題の無い距離を
5mもオオバーしバーディーが取れなかった。

私はそろそろプレッシャーが掛かって来ていると感じた、案の定
次の12番殆どストレートの410yパー4のティーショット大きく
ヘッドアップ、スライスしたボールは右の木の真下、ジャンの
試練が始まったので有る。
仕方なくピンまで80y地点にレイアップしたが、ここでボギーは
一寸痛い、コリファインも危なく成ると思って見ていたがジャンは
絶妙のサンドウェッジショットを見せ、あわや入るかと思わせる
ピン10Cmに寄せてしまった。

最初のピンチを切り抜けたが次の13番418yパー4でも苦しんだ、
ピン迄150y迄運びピッティングウェッジのセカンドをダフッた、
カラー手前20yからのアプローチが素晴らしかった、あわや
カップインのパー、ショットはぶれてきているがアプローチは冴え
ているのだ、このまま行くかも知れないと私も楽観の幻が頭を
過ぎった。

14番433パー4は2日目に唯一のOBを出した気持ちの悪いホール、
OBを逃げて右に行き過ぎ木の中へ入りセカンドは又レイアップ,
残り100yを寄せきれずとうとうボギーとしてしまい、イーブンパーと
なったジャンに少し焦りが見えて来た、顔も青く成っている。

続く15番は380yと短いパー4、
ティーから180y地点で大きく左にドッグレッグしている。
ジャンなら5I、7Iとつないで楽にグリーンに届く、私はセカンド地点で
見守った、間違いなくアイアンを持つものと思ってみていると、なんと
ジャンが手にしているのはドライバーで有る、後で聞いたらキャディー
がくれたから、と言っていた、未熟者目と怒って見たが、キャディーは
なんとジャンの叔父さんである、下手糞なキャディーで唯の運び屋で
ある事は知っていた。

270y地点のフェアーウェーを横断しているクリークを如何する積りな
のか考えあぐねた、今日のドライバーは置きに行っているとは言え
間違えれば入ってしまう、それとも超えて勝負に出るつもりなので
あろうか、幸か不幸かジャンの打ったドライバーショットは私のいる
フェアーウェー左の高い木に当たって其の侭下に落ちた、ライは良い
が大きく木が被さり下しか抜けない、グリーンは直接狙えない。

右のガードバンカーの手前で止めてアプローチ勝負に出るしかない、
右のバンカーは砂が薄くサンドウェッジのバンスは使えない、手前に
うまく歯を入れるか極々薄く下をすくうかしかない、ジャンにはどちら
もピンに寄せるテクニックは無い、なんとジャンは最悪のそのバンカー
へ入れてしまった。

ジャンは今まで経験したことの無い重圧とプレッシャーに耐えに耐え
ている様子が手に取る様に解る、顔はゆがみいつもの明るいジャン
では無い、多分今の心境はこの場から逃げ出したい程緊張のしまくり
で有ろう。

結果は寄らず入らずのボギー、とうとう後が無くなった1オーバーである、
しかも2日目に8を叩いているVillamor GC きっての最難ホール
16番448yパー4が次に待っている。
乾季の時ならばランも出て距離も稼げるが今はやっと雨季が終わり、
まだ下もじめついてランは期待できない。

16番ホールは元々パー5のホールである、それを気持ちだけティー
グラウンドを前に出しパー4にしている、真っ直ぐ打てば左の林に入る、
センターに置きに行けばセカンドが200y以上残ってしまう、理想は
センターから軽いフェードが良いのだが、最短距離は220y付近から右
にドッグッレッグしているコーナーの上を300yを越えるティーショットを
軽いドローで打てれば、残りは140yで有る。

今日のフェアーウェーコンディションではバーディーはおろかパーも苦
しいホールである。
しかし後の無くなったジャンは勝負に出た、右の林越えを狙った、会心
の当たりで打ったドライバーは右コーナーの林の上をものすごい勢い
で越えようとしている、私もこれは良いと思ってボールの後を目で追っ
ていたが掛かるはずのドローが掛からない。

とうとう最後の木に当たってしまいボールは林の中に落ちた。
ここのボギーは致命傷になり兼ねない、残りの17番パー3は浮島で手前
のピンを狙うにはプレッシャーが掛かり過ぎて難しくバーディーを取りに
行くホールではない、最後の18番はジャンも得意としている519yのパー
5だが、ここをバーディーでやっと合格では経験の無いジャンではプレッ
シャーで潰れてしまうだろう。

しかも完璧な300yを超えるティーショットと完璧なアイアンショットが繋が
れなければならない、パンパンに張り詰めた状況でそれを望む方が無
理と言う物だ。それにはなんとかここをパーで切り抜けなければならない

思わずボールの落下地点に駆け寄ってみると奇跡である、上が開いてい
てしかも真っ直ぐピンである、幅は狭いが上は空いている距離は170y8番
でぴったりではないか、高さも8番ならクリアー出来る、勝負に出られるっ
と思った。

真っ青な顔をしたジャンがボールの所へ来て上を見上げ、距離と高さを
計っている、私は思わず8番だっと口に出して言いそうに成った、ジャン
はしばらく考えてなんと9番を抜いた、これでは手前のバンカーに捕まっ
てしまう、どうも高さに自信が無いようだ、2〜3回素振りをしてクラブを
取り替えた、私はてっきり8番を持つものと思っていたら何を血迷ったの
かピッチングを抜いた、思わずバカヤローと日本語でつぶやいた。

ピッチングでは絶対に届かない、それならギャンブルすること無く残り
100y位のフェアーウェーへ出して置けば良い、ジャンは殆ど放心状態の
まま理性では無く本能で打った、しかしそれは見事なショットで狭い木の
間を抜けて行った、ジャンのボールは見ていたギャラリー全員に驚嘆の
声を上げさせる程完璧なショットだった、ただ一人私はバカヤローと又
つぶやいた。

ボールはグリーン手前15y、バンカーのすぐ手前に止まっていた、後は
ジャンの絶妙のアプローチを期待するだけだったが、緊張しまくり手元が
定まらないジャンには到底無理な注文だった、3mショートしたパット
ラインを暑くも無いのに汗びっしょりになって読んでいるジャンが少し可哀
そうにも思えたがこれがコリファインなのである。

私はこのパットは入らないだろうと思っていた、今日のジャンはパッティン
グが狂っている、フォローが全く出てい無い、結果は情けない事に3mが
届かなかった。

この4日間の中で最も大事なパットを外した事はジャンが誰よりも解ってい
る、一瞬ガックリと首をうな垂れたが何とか残りのパットを処理して17番
パー3のティーグラウンドへ思い足を運んでいるジャンの姿を見て、こいつ
がもし間違えてでもコリファインしたらたいした者だ、面倒見ても良いかも
知れないと思った程、その時点でジャンのコリファインの確立は20%も無
いほど低いものだったので有る。

16番をボギーにしたジャンがなんとオナーである、前のホールの大きい
ショックを引きずりながらのピッチングウェッジのティーショットがボールの
手前を噛んだ。

このホールは150yと短いが前後左右池である、今日のピンポジションは手
前左側、ジャンは本当に付いている、フィニッシュを崩したジャンが見守る
グリーンのセンターを狙ったはずのボールはピンの方へ向かい何とかグリ
ーンまで届きピン迄3mのバーディーチャンスである、思いもかけない結果
でジャンはヨシっという気に成ったものの奇跡はそうも続かない。

パットが悪いジャンには3mも10mも同じ入らないパットである。
とうとう2オーバーのまま最終ホールへ来てしまった、私はジャンに一言
だけ声を掛けようと思ったが敢て辞めた、こいつの運と根性を見てみた
かった。

18番519yパー5のジャンのティーショットはそれでもやっとのことで気力を
振り絞って打った、フェアーウェーセンターに飛び出した渾身の魂のこもっ
た300yショットはやや右に傾きながらも何とかラフまでは届かずフェアー
ウェー右ギリギリの所、ピン迄210yの所へ止まった、それは私を含めた
10人程のギャラリーの期待をやっとの思いで繋ぎ止めたショットだった。

セカンド地点に居た私がこちらに向かってくるジャンを見ると、16番の
ジャンとは別人に見える程胸を張って早足で歩いて来る、顔色も良い、
その時私はこいつは開き直ったのかそれとも何かが吹っ切れたのかも知
れないと思った、これならもしかすると、もしかするかもし知れないとも
思った。
ジャンはライを確認して得意の5アイアンをキャディーバッグから抜いた、
顔は自信満々に見える、私はそれを見てグリーン方向に歩き出した。

ヘッドアップに気をつけろ、右手を殺せ、結果を恐れるな、自信を持って
ショットしろ、今まで教えてきた事を口ずさみながらグリーへと向かった、
何と言うことか私はジャンのセカンドショットを見逃してしまった、グリーン
側の50人以上のギャラリーの歓声と一緒にジャンに付いているギャラリー
の歓声が一緒に成って聞こえた時、初めてピン3mに付いるボールが
ジャンのボールだと解った。

ジャンの見事なセカンドショットが今回参加したコリファインでたった一人
のプロテスト合格者を保証した事が解った。
とうとうジャンはやった、短い期間でよくここまで来た、コリファインの難しさ
は明日も有るさのトーナメントの比では無い、戦う相手が居ない自分だけ
の1年に1回の本当の孤独の戦いである。

ジャンがグリーンに上がって来て自分のボールにマークをする。
私と目が合った、ジャンが初めてニコっと笑った時、遠い昔に味わったあの
感動が蘇って来て目頭が普通で無くなりこれはヤバイぞっと思った。

5cmのバーディーパットがカップに沈んだ時、とうとう久しく忘れていた熱い
物が目から飛び出しそうになり、なんとかそいつを押さえつけてがんばり
ながらジャンの手を握った。

しばらくして私もジャンも興奮から覚め今日のラウンドの話に沸いたが、
私は褒めながら16番のセカンドを怒った、なぜピッチングに持ち替えたのか
を聞くとやはり高さに自信が無かったと言う、それならばどうしてレイアップ
しなかったのかと聞くと、如何してだろうと本人も解らない、確かにそんな
状態だったのだろうと私も納得したが、ジャンを連れて例の場所に戻り
8アイアンで打たせた、2回打って2回とも成功したのには本番より驚いた。

こんなにも正確なショットが打てる様に成っていたとは思わなかった、
2つのボールがピンを挟んで左右3mにピッタリ付いている。
私もジャンもこれで納得した、そして私は今後のジャンの事を真剣に考えて
上げようと思った。

今日ジャンは25才に成った。
誰にも贈る事が出来ない最高の誕生祝を自分自身で勝ち取った。
何とも爽やかである。
私は正直に思った、
こんな素晴しい瞬間に私が関われた事を心からジャンに感謝したいと。
我が弟子Janのプロテスト初挑戦