生涯最初で最後のクラチャン挑戦記
第一章 序盤戦
            = 1、大苦戦の予選ラウンド =

その当時の私は自分にとってはクラブチャンピオンは獲って当然のタイトル
と驕(おご)りに似た気持ちを持っておりました、逆に獲れなかったらみっとも
ないと言う、今考えれば偉ぶったとんでもない事を考えていたのです。
それほどゴルフが上手い訳でも有りません、ただつまらないプライドだけは人
一倍強く、他人から見れば鼻持ちなら無い人間に見えたかも知れません。
この大会は私のそう言ったひねくれを真っ直ぐに直してくれたゴルフ人生の節
目に成った大会でも有りました。

いざ蓋を開けてみれば予選ラウンドのプレイは、私が考えていた事とはほど
遠く、ショットはぶれる、アプローチは寄らない、パットは入らないと、こういう
日も有るのかと思う程ひどいゴルフをしてしまい、こんな筈では無い、こんな
筈では無い、っと思っている内に残りホールはどんどん少なく成って行きます。

1日18ホールで行われた予選を、それこそ驕(おご)りと油断から7オーバー
なら楽に通れると計算してOut 10番から出て行った私が、最終9番ティーに来
た時には既に8オーバー、ザマあ無い体たらくな有様でした。

真にだらしの無い結果です、予選にも関わらずラウンドの途中から予想以外
の展開に、今までに無いほどのプレッシャーを感じ、それに加え最初で最後
のクラチャン挑戦とやけに力みも入っておりました。

これではぎりぎりか、もしかすると予選通過も怪しく成って来ました、最終の9
番ホールに来た時には、あれほど軽く見ていた予選通過に必死に成ってい
る自分がいました。その上何とかこのホールで1打減らして、などと身の程知
らずの私は我を忘れてがむしゃらに向かっていったのでした。

こんな不安な気持ちでゴルフをするのは久しぶりでした、又こんなに真剣に
ゴルフをするのも久しぶりでした。
私はきっとその時、何か遠い昔に置き忘れて来てしまった大事なものを思い
出し、蘇(よみがえ)って来た感じがして、ゴルフに対してとても純真な気持ち
でゴルフに立ち向かっていたと思います。

最終ホール、打ち下ろしのティーショットを何も考えずにいつものように5ウッド
持ってアドレスした時、何か落ち着かず、しっくり来ないのを覚えていますが、
多分集中力が全く低下していてショットの準備も出来ていなかったのでしょう。
そのままテイクバックに入ってしまい、結果は引っ掛けて左のラフ、もう少し左
に行っていたら木がスタイミーとなり酷い事に成っていた、等と思っていたそ
の直ぐ後にはもっと泣きを見る目に成るとはその時考えてもいませんでした。

ピンポジションはほぼグリーンセンター、ライも悪く有りません、
ここはピッタリ寄せて1打沈めて予選通過を何とかしなくては、
っとそればかり考えていました。
残りピンまで145y、9番アイアンで打った池越のセカンドショットを有ろう事か
ダフッてしまいました。
ボールは池の向こう側にわずかに届かず、無情にも池に吸い込まれてしまっ
たのです、

その瞬間遅まきながらやっと自分を取り戻しました。
「終わったか。」ため息をついて我に返ったっ私は、第四打を打つためにドロ
ップ地点のライのチェックに入りました、慎重にドロップして、アプローチウェッ
ジで打ったボールはピン下30センチにピッタリ止まり
ました。
ゴルフをなめて掛かった洗礼がここ最終9番ホールに集約しました。
          = 2、奇跡よ起きてくれ!! =

情けない気持ち、恥ずかしい気持ち、ゴルフに対する心構えを叩き直し
てくれたような18ホールでした、予選落ちの寂しい気持ちで一緒に
回った内の一人とクラブハウスに戻ってきました、彼は前の月に
行われたこれも初代のシニアチャンピオンシップの優勝者、何と実は
彼も私と同じ9オーバーで意気消沈、同病相哀れみながらの同道でした、

当時私と彼は下馬評では優勝候補の1位と2位、その二人が揃って予選
落ちです、その時2人はそう思って疑わなかったのです、『奇跡よ起きてく
れ!!』等と心に中では女々しく思ってもいましたが・・・。
スコアーボードの前には人で一杯でした、予選最終組で上がってきた我々
が、見ても仕方の無いスコアーボードを見ると、そこには本当に奇跡の様
な事が起きておりました、ビックリした事に、我々は2人とも31位タイで予
選通過と成っているでは有りませんか。

しかもシードで最後まで彼とは当たらず、運命のいたずらとは言え我々
は1位と2位でシードされ最後の決勝で当たると思っていたのが、
ビリとブービーで普通に勝ち上がればやはり決勝で当たる、不思議な
巡り合わせで全く同じ運命と成っっていました。
二人は顔を見合わせて笑ってしまいました、こんな事も有るんですね。

しかも初戦は予選で1番の成績を上げたプレイヤー、その後どんどん
シード下の選手と対戦する妙な戦いのスケジュールとなりました。
文字通り九死に一生、生き返った私はやっと落ち着きを取り戻し、
いつもの自分のゴルフが出来るように成りました。
マッチプレーで行われる決勝線の第1試合は予選終了後直ちに始まり、
次の週が2回戦と3回戦、最終日が4回戦と決勝という当時は変則な
日程で行われました。


その1回戦1番ホール、いよいよクチャン挑戦への胸高まる第1打。
私がオナー、当時自信を持っていたドライバーショットはフェアー
ウェイセンターやや左に飛び出し、落ち際に軽く右に首を振った持ち球
の軽いフェード・ボールはセンターど真ん中グリーンまで140Yのベスト
ポジションをキープしました。

それを見た彼のショットは酷い引っ掛け、150Y程飛んで左のクリーク
に入れてしまい、そこから無理やり打ち、出ただけ、3打目はグリーン
まで120Y地点に運ぶのがやっと、私はセカンドをピン手前3mに着け
彼のプレーを見ておりました、

彼は4打でピンまで6mのグリーンに乗せたもののこれが入ってやっと
ボギー、私が3パットなら分けに持ち込めるのですから、彼にチャンス
が全く無いわけでは有りません、しかしこれを1mオーバーした所で私は
コンシードをだし、彼も私にコンシード。

こうして最初のホールで相手を圧倒してしまいました、反対に予選トップ
通過の彼は全く萎縮してそれからはまるでゴルフに成らなくなってしまい
ました、ドーミーホールで向かえたパー3の13番ホールをやはり私が取り
7&5で1回戦は簡単に終了しました。
第一回戦で取られたホールは一つだけ、と上々の滑り出しでした。
                  
                 = 序 =

サイプレスCC、丸山茂樹プロが所有する前のコースの名前、今は58CC。
プレイをした事の有る方は思い出してみて下さい、あそこの名物
6番ホール、茶店のすぐ後です。
レギュラーティーは460Y位のパー5でサービスホールですが、
バックティーは450Yのパー4と成ります、左はグリーン近くまで崖、
右は深いラフの高い土手でフェアーウェーは狭く、グリーンに近づく
に連れバンカーが沢山あり、
2オンも易しくなかった事を覚えていますか?。

サイプレスの初代クラチャン決定の経緯と言うか噂と言うかご存知の
方はいらっしゃいますか?
実はあのコースは私にとって一生忘れる事の出来ない出来事が有った
思いでのコースなんです。
そのお話をしましょう、少し長い話になりますが、
まっ我慢して読んで見て下さい。

私のクラチャンの挑戦はあのコースだけだったんです、元プロ崩れの私
には何か後ろめたくっと言いましても私が元プロなのを知っているのは
殆ど居ませんでしたが。
クラチャンは他のコースでもズーと辞退しており私とは無縁のもの
でしたが、その当時いたコースのプロに『なんで出ないんだっ、
出なきゃだめだっ。』と勧められてコース初代のクラチャンを決める
記念大会に挑戦しました。

今考えますとその頃の自分は実は臆病で小心者だったのだと思います、
「元プロがアマチュアの大会なんて。」、などと生意気な事の裏には、
実は負けるのが怖く、ただ逃げていただけの卑怯者だったのです。
しかしその当時の私は人生の中でゴルファーとして、
1番油に乗った、1番強く輝いていた時期でも有りました。
          = 3、肋骨骨折の疑い有り。 =

次の週に行われた2回戦、3回戦も全く危ないところは有りません
でした、1番長く戦ったのが1回戦の13番ホールまでで、第2試合は
何と1つのホールも取らせずに9&7で11番ホールまでしかゲームを
しませんでした、3回戦は12番で決着がついたと記憶しています。
順々決勝までの3試合の合計36ホールで私の叩いたボギーは
たった3つだけだったのを今でも覚えていますが、バーディーの
数は幾つだったかどうも思い出せません。

そして絵に描いた様にシニアチャンピオン氏も勝ち上がり、
不思議な事が有るものです、過程の違いこそあれ試合前の下馬評
通りの決勝戦へとシナリオ通りに進んで行ったでは有りませんか。
まるで漫画か小説にでも出てきそうなストーリーです、真実は
小説よりも奇なりの言葉を思い出さずにはいられませんでした。

決勝戦の4日前だったと思いますが3日前だったかもしれません、
最近ドライバーが少し右によれているのが気に成りその調整をして
いた時の事でした、当時フェードを持ち玉としていた私は、ボール
の打ち出しが自分の理想より少し右に飛び出しているのを強制する
ため、右肩の突込みをほんの少し遅らせるイメージで100球位も
続けて打っていた時右後ろ肋骨にいやな感覚を覚えスウィングを
止めました、こんな事は珍しい事でも有りません、大体(たいてい)
は少し休めば直ってしまいます、しかしその時はそうではなかった
のです。

すこし休んでからもう1度打った瞬間、いやな感覚がはっきりとした
痛みに変わりました、ヤッテシマッタ!!、この痛みは尋常では
有りません。
以前にも経験の有る痛み、練習をすぐやめ、掛かり付けの病院に
それこそ直行しました、ゴルフ好きで付き合いも私とは10年以上にも
なる医者に相談するためです、風邪から怪我まで何でも私は此処
へ来ます、以前B型劇症肝炎にかかり死に掛けた時も専門病院へ
移すと言う医者の言葉を拒否してここで直してしまいました。

出た結果は『レントゲンで発見されない部分で肋骨骨折を起こして
いる可能性が大、安静にしていれば2〜3週間で直る。』
ジョ!ジョウダンジャネ〜!!
4日後はクラチャンの決勝日、骨折するならそれからにしてくれ!!
と言っても天に私の声は届かず。
よくゴルフを知っている医者の言う事には
『もし練習するのなら、これからはアプローチ、パットのみ、
ショットの練習は厳禁!!、準決勝は7時からだったネ?
それでは当日朝3時に病院へ来るように。』

これでクラチャン初挑戦も終わったか!!っとその時は半ば諦め
掛けていました、
ドライバーどころかサンドウェッジのフルショットも打てない
状態です、後4日でどこまで回復するかは解りませんが、今の
ままでは辞退しかないか、等と悲観的な事ばかり考えていました。
ゴルフは目も当てられない位下手糞な私の主治医はそれでも医術
の腕は良いとの評判、信じて取あえず言う事を利くしかないと
腹を括るしか、その時気持ちを持ち続ける方法が見つかりません。
半分諦めながら気の入らないアプローチとパットの練習だけを
黙々とこなし、いよいよその時が来ました。
NO 18 グリーンからクラブハウスを望む
コースレイアウト全景
コースヤーデージ
コースヤーデージ
NO 9 グリーンから見る
NO 1 ティーグラウンドから見る
NO 1 グリーン方向から見る
NO 12 サードショット地点からグリーン方向を見る
NO 13 ティーグラウンドからグリーン方向を見る