<<第六章『W グループ盛衰記』>>
職業別身分制度
結束はますます強くなってコースからも一目置かれるようになった、
グループには掟が有った、嘘、ズル、騙し、ごまかし、をした奴は
グループから外す、それを知ってて見逃した奴も同罪、てな厳しい
もんだった。

フィリピンへ行ったことが有る人なら解ると思うが、この約束は
フィリピン人にとっては想像以上にキツイ。
キャディーフィーとチップだけでは足りねぇから彼らは賭けをする、
自分の付いたプレーヤーにキャディー同士で賭ける訳なんだけんど、
ズル、誤魔化しの応酬だ、もちろん賭けた相手のキャディーにみつ
から無い様にだが・・・。

ボールが打てないところに行けば蹴飛ばしていい場所に出す、ボール
が無く成りそうに成るとポケットに入れといたボールを分からないよう
に落とす、プレーヤーは知らねぇから良いスコアーが出るのを喜ぶ。

キャディー達は遊びじゃぁねぇ、生活の為にやっているんだ、これを
禁止した。wグループのキャディーは正直だと噂が広がり株はどん
どん上がった、指名もwグループのキャディーは目に見えて増えて
来たんだ。」

「いい事ずくめじゃぁねえか、テッツアンの出費を除けば、でもどうして
1年半で解散しちゃったんでぇ、ヤッパテッツアンの懐の底が着いたっ
て事かい?。」

「そうじゃあねえ、カルボとパレの除名で自然崩壊しちゃったのよ。」
「あぁ〜!!、さっきの話しか、成るほどカルボプロの事件は分かった、
けんどパレの起した大事件てのはいったい何んだったんでぇ。」
「大ぇ変も、大ぇ変!!飛んでもねぇ大ぇ変な事だったのヨ、
俺ぁ二度とフィリピンにゃぁ来れねぇとまで思ったぜ!!。」

記 1995年5月
Wグループ結成のいきさつ
Wグループはかくして消滅した
次の話は掲載準備中
フィリピン江戸っ子談義
「wグループのこった。」
「そう言やめぇにも言ってたなぁ、いってぇ何んなんでぇ、
そのwグループってなぁ。」
「ヨッチャンにゃぁ解るめえが、フィリピンにゃぁ仕事に階級がある、ゴルフ場
の中でもこれが有ってどうする事も出来ねえ、1番下がティーボーイだ、聞い
た事ねぇ仕事だろう?日本にはねぇな、仕事は練習場でプレーヤーが打つ
球を1球毎に手でセットアップするって単純な仕事だ。

その上がキャディー、その上に10段階以上有って1番上がジェネラルマネー
ジャー、って仕組みだ。」
「フィリピンにゃぁ職業差別みてぇのが有るって言う事かい?、そりゃぁ辛れぇ
事だなぁ。」 「みてぇ、じゃねぇんだ、事実職業差別が歴然と有る、 そして
階級イコール収入の差と考えて殆ど間違ぇねぇ。

ビリアモールのキャディーの登録数は300人から400人いる、全員背番号を
付けてキャディーに付く順番を待つんだが、1日の入場者数は平均で60人
位えだ、この数だけが日当に有り付ける、保証なんて立派なものは有りゃぁ
しねぇ、運良く仕事に有り付けた奴ぁキャディーフィーの250ペソ、プラスチッ
プが全収入、チップったってフィリピン人なら50ペソから300ペソ、中でも日本
人は1番きめぇが良くて300ぺぇ以上だ。

これが週多くて2回、見入りがいい月で5,000ペソ、 少ねぇと1,000ペソもいか
ねぇ時も珍しかあねぇんだ。
キャディー達ちゃぁ何とか指名を数多く受ける事で順番待ちを避けようと必死
になるって訳だ、客の取り合いで大喧嘩だってする、生活が掛かってるんだ
から必死よ。
スラム街の俺ん家の周りにはそんなキャディーが沢山住んでる、明日の事な
んて考げぇてる余裕なんか全くねえ、毎日の米の事で頭がいっぺぇだ、そんな
やつらが何かと俺らの面倒をみてくれる、スラム街でよそ者日本人が色々な
問題を起しながらも楽しく無事に暮らせたのは奴らがいたからだ。

今思うとそう言ったとこにそもそも住む事自体が間違いだったんだがね、もし奴
らの保護が無ったらと考えると今の俺っちが有るかどうか・・・。」
「確かに!!テッツアンの話を色々聞いて見ると奴らの役割はてぇへんなもん
だったな〜。」
「恩返しって程のもんじゃぁねぇけど、少しぁ俺っちもみんなの役に立ちてぇと考
えてね、家の周りのキャディー連中を中心にグループを結成した。

俺らが会長、プロのカルボが相談役、パレとトンがマネージャー、全員で15名
以上だ。活動は月1回のゴルフトーナメントとグループ相互援助だ、グループ
の結束は固かったね〜、ステイタスってやつも徐々に高まって隣のゴルフコー
スまで影響を与えるまでに成長した。

入会希望者はキャディーだけじゃぁねぇ、ビリアモール全体に広がっていったよ、
でも俺らぁ入会の許可を出さなかった、最初からいる連中は本当の親切で俺ら
を助けてくれた、後からのは入らなきゃ損だ位れぇの考えだったからよ。
メンバーの最大の特権は月1回のゴルフトーナメント参加だけじゃぁねぇ、俺っちの
冷蔵庫の中身はいつでも自由に飲み食い出来た、その当時でかい冷蔵庫が1台
だったが足んなく成ってビール専用をもう1台買った。
みんな金なんかねぇ、家で呑む事だってできゃぁしねぇ、毎んち宴会状態だたね、
俺らがいようがいまいがだ、冷蔵庫は朝にゃぁ空だ、それが殆ど毎んち1年半ほど
続いたよヨッチャン。」

「そりゃあすげえ、出費もてぇへんなもんだったろうよ、ゴルフトーナメントってのは
・・・?。」 「今は“キャディースデイ”てのが毎週月曜日に有って無料でプレー出来
るんだが、その当時はなかった、キャディーだってゴルフは大好きだ、ゴルフが好き
でキャディーをやってる奴もいっぺぇいるし、プロを目指しているのも何人かいた。

そこで月1回のキャディーコンペをやってやる事にしたんだ、みんな喜んだね〜、
割引してくれるようコースと掛け合ったがうんと言わねぇ、特別扱いは出来ねえって
こった、しかたがねぇからキャディーフィーだけはカットすることを了解させて、
グリーンフィーは払う事にした。

結構な出費だったがみんなの喜びようは無かったね〜。賞金も出したしコンペ後の
パーティーもやった。向こうは雨季が長げぇ、あいにくコンペが雨で流れた場合は
みんなに米と現金をくばった。











Wグループ結成の特権
写真は線路際のスクウォーター
歩いているのはここの住民の親子