又いつも同様まとまりの無い文章に成ってしまいました、
真に申し訳御座いません。
如何でしたでしょうか?私の意見を率直に書いて見ましたが、お役に立ちましたでしょうか?

記 2007/3月
こうでなくちゃぁティーチング???
日本ではレッスンと言う言葉が定着しておりますが、勿論それでも
結構です、ここではそれがティーチングと言っているのだとご理解
頂ければ結構です。又アメリカではインストラクターと呼んで
いますが、これでも問題なしです。本質的にそれを問題にしている
訳では有りませんので。
ティーチングとは

ティーチングをする人をティーチャーと呼び、受ける人をスチューデ
ントと呼ぶ事はご存知でしょう。

一般的にはティーチングはまだ殆ど分からない状態の人に文字通り
指導する事を言います。スチューデントは基礎も解らない状態です
からティーチャーの指示に従い、言われた事をそのまま行う訳です。

この時のティーチャーの役割は大きく、言ってみればティーチャー
次第でスチューデントはどの色にも染まってしまう訳です。
スチューデントに与える影響が多大な分ティーチャーが負う責任
も益々重大と成りティーチングの質の向上を常に培う事は言うまで
も無く、ティーチングテクニックの研究を怠っては成らないと考え
ます
コーチングとは

コーチングをする人をコーチ、コーチングを受ける人をプレイヤー
と呼び、クライアント(依頼人)とは言いません、コーチングでの
コーチの役割はプレイヤー自身でモティビエーション(やる気)を
高め、発展、進歩をする事が出来る様に導く事です。
言い変えますと、自立してやって行ける人をより高い位置へ自分自身
で持って行ける様に指導する事です。
コンサルティングとは

提起された問題を総合的な面から解決策を探し出す事、例えば生活
環境、仕事環境、付き合いの環境、の他に健康状態、資産状況等の
現状条件と将来に掛けてのプランニングまでを把握し、その人の性格、
趣味、習慣などまでありとあらゆる情報を駆使して、クライアントの
目指す目標に如何にすれば到達できるかを分析提示する事です
ティーチングの定義

ティーチングとはそもそも何を教える事なのでしょうか?
ゴルフのスウィング?、それとも飛ばし方?、それともボールを正確
に打つ事?、もちろんその全てですが、似た言葉にコーチングと言う
のが有ります。

日本では余り聞きなれない言葉ですがアメリカを含む
欧米では、ティーチングとコーチングの定義をはっきり分けて使って
います。

同様な言葉にカウンセリング、コンサルティングなどが
有りますが、それとどう違うのでしょう。
これらを明らかにしていけばゴルフで言う所のティーチングの定義が
解って来るかも知れません。
カウンセリングとは

カウンセリングをする人をカウンセラーと言いますが、この仕事は
カウンセリングを受ける人(クライアント)がどのような問題を
持っていて、その問題をどのようにして解消していくかを
プログラミングしそれを実行してクライアントの問題を解決する
事です。

最初から問題が解っている場合よりも問題が解らない方が
多い為に解決方法も解らない場合が多く、クライアントから何が
問題なのかを引き出し、その解決策を考えて実行する役割です。
この様に指導者の呼び方によって狭義には役割は違うと言う事です。
ティーチングはステップアップしていく為の最初の一歩という訳で、
後に必要となるコーチングにスムーズに移行していけるような指導を
しなければ成りません。

と言いましても、ここからはコーチングと言う境は有りませんし
違った指導者がコーチに成る訳でも有りませんから、指導者は生徒の
レベルを把握した上で指導方法を選択し、状況に応じた正しい指導を
する責任を持たなければ成りません。

いつまでも低レベルの指導を続けても行けませんし、かと言って無理
な上級指導は反って生徒の自信を無くす様な事にも成り兼ねません。
指導者はどの時点でどうステップアップして行くかのスケジュールを
必ず持っているものですが、なかなか生徒と一致しない事も事実です。

人は誰でも早く上達したいと思っている気持ちは同じです、
しかし指導者はその時点の的確なアドバイスをするべきで、
生徒の意見全てに左右されてしまう様な主体性の無いティーチングは、
生徒にとってもいい影響を与えませんし、優柔不断な態度は自信の無さ
の表れとも取られます。

信念のあるティーチングならば、今なぜこのドリルをしなければ
ならないかを解り易く説明して生徒が納得出来るティーチングを
しなければ成らないと考えます。

こう考えますとティーチングとはティーチャーの独善でも、
スチューデントの我侭でも成り立たず、スチューデントに合った正しい
スウィングを双方の共同で作り上げる作業が出来なければ成り立たない
事がお解りに成るかと思います、又それ以外では成功しないとも考え
られないでしょうか。
そこで私の考える『ティーチングの定義』とは
ティーチャーはティーチングのノウハウ及びテクニックに関して
スペシャリストたるべきである事を前提に、スチューデントが技術
向上を習得出来る様、スチューデント合った正しいスウィングを、
双方の共同で作り上げる責任を負いそれを全力で指導をする事。

と思うのです、只「ヘッドアップだ」、「左手が曲がる」等と言って
いるのがティーチングと勘違いしている人が意外と多く、それで納得
している場合も多々見受けられます、それで満足していられれば
それはそれで全く何の問題も有りません。これはティーチングを
受ける側スチューデントの意思が尊重されるのが常だからです。

通常ティーチャーがスチューデントを選ぶのではなくその逆が
殆どの場合です。
スチューデントはティーチングに満足出来なければやめればいいの
です、簡単な事です。
ティーチングに意義が有るかどうかはスチューデント側が判断する
もので本来ティーチャーが押し付けたり、説くものでは無いと
考えております。

例えば学生時代クラブ活動等で殆ど強制的にトレーニングさせられて
いた経験の有る方ならお分かりと思いますが、その場合特殊なケース
(指導者を選んでその学校に入学した場合など)を除いて好むと
好まざるに関わらず、今いる指導者に従わざるを得なかったわけで、
そのような時指導者の方針は一個人の部員に左右されて変わる事は
殆ど有りません。
しかしその場合と社会人に成ってからの場合は全く反対の現象が
起こる訳です。

勿論ティーチング・フィーを払ってティーチングを受ける訳ですから
ティーチャーを選ぶ主導権はスチューデントに有るのはごく自然の
事の様に思います。その事からもティーチングの意義を唱える事は
出来ても、押し付けや説得は出来ないシステムなのです。

特筆すべき事はここフィリピンのプロはティーチングで得た収入が
生活を支える全てです、スチューデントに嫌われたらこの世界では
生きていく事が難しいのです、ティーチャーたる指導者がスチュー
デントの顔色を伺いながらティーチングをしなければならないとしたら、
私には満足行くティーチングが出来るとは思えませんし、スチュー
デント側に立って見ても、正規のティーチングを受けられるとは
悲しいかな考えにくい状況に思えて成りません。

ティーチャーとスチューデントはティーチングの場ではそれ以下で
もそれ以上でもいけないと考えております。
フィリピンのプロは時々スチューデントのことをカスタマーと呼びます、

日本人のプロにもこう呼ぶ人がいますが、自分が頼る指導者が本来生徒
であるはずの自分の事をお客さんと思っている、でも、もしかしたら
そう望んでいる生徒もいるかもしれません、しかし私にはやっぱり
それでは違うとしか思えません。

ただこれはフィリピンに限っての特殊な事情が生んだ特別な関係と
思いますが・・・。この件に関しましては他の項目で詳しく述べさせて
頂きます。
さてティーチングの意義ですが、

もし私がアマチュアでゴルフが上手くなりたいと考えたら、迷わず
ティーチングを受けるでしょう、と言うより私のゴルフの出発は、
ゴルフクラブを全く手にしたことが無い状況でプロに指導を仰ぎ
ました。

これはスポーツ好きの私はそれまで様々なスポーツを経験して来た
結果最初からプロに指導を受ける事が上達の早道と解っていたから
です。

余談ですが残念ながらその当時指導を受けたプロの指導方法は
解りずらく、理にも適っていない、とんでもないものでした。
そのプロに私は1年もの間師と仰ぎ言われるままにレッスンを受けて
おりました。

全くゴルフのゴの字さえ知らず、勿論他のプロに習った
事など無い私でも半年目位からこれは違うなと感じて一人で練習する
事が多くなってはいましたが、その当時ティーチングの場所が家の
すぐ前に有り、練習には持って来いの環境だった為ズルズルと続いて
しまいました。

ただ後で考えてもあの1年間は勿体無かったと後悔した事も有り
ましたが、今の私には反面教師として大いに役立っております。
ティーチングの意義は本人のゴルフに対する思い入れの強さや情熱が
どれ程有るかによっても違って来るものと思います。

長く成りましたので私の考える『ティーチングの意義』を述べさせて
頂きます。

一言で言えば『ティーチングの意義』とは考える物では無く、
実際に行動して見て本人が感じたり見付けたりするものと考えます。
これが私の結論ですが、他の人にも色々な考え方で、様々な結論が
出てくるかもしれません、それもきっと正解だと思います。